大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問45 (日本史B(第3問) 問1)
問題文
マユ:中世になると鎌倉幕府が成立するけれど、a 京都の朝廷も権力を持っているし、荘園領主も大きな権力を持っていたんだよね。
ヨシミ:だから中世には、幕府の法や朝廷の法、荘園領主の法など複数の法が併存していたみたいだね。それから戦国大名の中には分国法を制定した者もいたよね。
マユ:様々な権力がそれぞれに異なる法を出していたなんて、よく社会が混乱しなかったよね。
ヨシミ:鎌倉幕府の出した法令は主に御家人を対象としたように、それぞれの法は適用範囲が異なっていたから大丈夫だったんじゃない。
マユ:でも、b 1297年の永仁の徳政令については、御家人以外の人たちも適用を求めたことがあったようだよ。
ヨシミ:そうか、支配する権力者たちは法の適用範囲を定めたけど、支配される人たちはそれを守るとは限らなかったわけか。
マユ:それに、山城国下久世(しもくぜ)荘の名主・百姓が起こした訴訟は、c 南北朝時代の出来事だったという点も面白いね。
ヨシミ:それだけ永仁の徳政令の影響力が大きかったことが分かるよね。
マユ:中世の荘園の名主・百姓たちは、自らの利益を守るために様々な活動をしたんだね。
下線部aに関連して、中世の朝廷に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後のうちから一つ選べ。
Ⅰ 北面の武士に加えて新たに西面の武士を設置するなど、軍事力を増強させた朝廷は、幕府との戦いに踏み切った。
Ⅱ それまで朝廷が保持していた京都の市政権や諸国に段銭を課す権限などが、幕府の管轄下に置かれた。
Ⅲ 朝廷は、荘園領主などに武力で抵抗し悪党と呼ばれた新興武士の取り締まりを、幕府に要請した。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問45(日本史B(第3問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
マユ:中世になると鎌倉幕府が成立するけれど、a 京都の朝廷も権力を持っているし、荘園領主も大きな権力を持っていたんだよね。
ヨシミ:だから中世には、幕府の法や朝廷の法、荘園領主の法など複数の法が併存していたみたいだね。それから戦国大名の中には分国法を制定した者もいたよね。
マユ:様々な権力がそれぞれに異なる法を出していたなんて、よく社会が混乱しなかったよね。
ヨシミ:鎌倉幕府の出した法令は主に御家人を対象としたように、それぞれの法は適用範囲が異なっていたから大丈夫だったんじゃない。
マユ:でも、b 1297年の永仁の徳政令については、御家人以外の人たちも適用を求めたことがあったようだよ。
ヨシミ:そうか、支配する権力者たちは法の適用範囲を定めたけど、支配される人たちはそれを守るとは限らなかったわけか。
マユ:それに、山城国下久世(しもくぜ)荘の名主・百姓が起こした訴訟は、c 南北朝時代の出来事だったという点も面白いね。
ヨシミ:それだけ永仁の徳政令の影響力が大きかったことが分かるよね。
マユ:中世の荘園の名主・百姓たちは、自らの利益を守るために様々な活動をしたんだね。
下線部aに関連して、中世の朝廷に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後のうちから一つ選べ。
Ⅰ 北面の武士に加えて新たに西面の武士を設置するなど、軍事力を増強させた朝廷は、幕府との戦いに踏み切った。
Ⅱ それまで朝廷が保持していた京都の市政権や諸国に段銭を課す権限などが、幕府の管轄下に置かれた。
Ⅲ 朝廷は、荘園領主などに武力で抵抗し悪党と呼ばれた新興武士の取り締まりを、幕府に要請した。
- Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ
- Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ
- Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ
- Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ
- Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ
- Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ
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この過去問の解説 (3件)
01
中世の朝廷に関する時代の並べ替え問題です。
Ⅰは鎌倉時代前半です。「西面の武士」は後鳥羽上皇が設置した武士集団であり、「戦い」は承久の乱(1221年)を指します。
Ⅲは鎌倉時代後半です。「悪党」は荘園領主に対抗をし、鎌倉幕府滅亡の一因となった存在です。
Ⅱは室町時代前半です。室町幕府の財政基盤は「段銭」や棟別銭等からの収入で、3代将軍義満の頃にはこれらが幕府の管轄下に置かれました。
不適な選択肢です。
適切な選択肢です。
不適な選択肢です。
不適な選択肢です。
不適な選択肢です。
不適な選択肢です。
時代の並べ替えによる正誤の出題です。各選択肢の「時代」および「前半・中ごろ・後半」を確認するようにしましょう。
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02
●問題のポイント
中世社会の特色について調べている中で、中世の朝廷に関して述べた文について古いものから年代順に正しく配列されたものを選ぶ問題です。
●解答
古いものから年代順に、ⅠーⅢ-Ⅱとなります。
鎌倉時代から室町時代前半に起った出来事を問う問題です。説明文を読みながら、確認していきましょう。
Ⅰ.北面の武士に加えて新たに西面の武士を設置するなど、軍事力を増強させた朝廷は、幕府との戦いに踏み切った。
白川上皇が設置した北面の武士に加え、後鳥羽上皇が上皇直属の軍である西面の武士を設置して軍事力を増強させたのは、鎌倉時代前半のことです。これに従わない鎌倉と対立して戦ったのが1221年に起こった承久の乱です。承久の乱は、幕府の圧勝に終わりました。
Ⅲ.朝廷は、荘園領主などに武力で抵抗し悪党と呼ばれた振興武士の取り締まりを、幕府に要請した。
悪党(振興武士)の活動が増加したため、朝廷が悪党の取り締まりを幕府に要請したのは、鎌倉時代後半です。悪党は、朝廷と武家が協調していた鎌倉時代の体制を根底から覆す存在でした。やがて鎌倉幕府が滅亡する要因になります。
Ⅱ.それまで朝廷が保持していた京都の市政権や諸国に段銭を課す権限などが、幕府の管轄下に置かれた。
段銭(たんせん)は、臨時に課せられた税の一種でしたが、次第に常時課税されるようになります。京都の市政権や段銭徴収権が朝廷から幕府の管轄下に移されたのは、14世紀後半から15世紀初頭です。3代将軍足利義満(1368~1394)の時代になります。室町時代のことです。
配列は違っています。
.
正しい配列です。
配列は違っています。
配列は違っています。
配列は違っています。
配列は違っています。
西面の武士を設置して、軍事力を増強させた朝廷は幕府との戦いに踏み切ったのは、鎌倉時代前期、1221年に起こった承久の乱です。
悪党(振興武士)の活動が増加したため、朝廷が悪党の取り締まりを幕府に要請したのは、鎌倉時代後半です。
京都の市政権や段銭徴収権が朝廷から幕府の管轄下に移されたのは、14世紀後半から15世紀初頭です。3代将軍足利義満(1368~1394)の時代です。
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03
正しい年代順は「Ⅰ → Ⅲ → Ⅱ」です。
【各文の年代】
Ⅰ 承久の乱(1221年)
後鳥羽上皇が「北面の武士」に加え「西面の武士」を置いて幕府へ挙兵しました。
→中世で最初の朝廷と幕府の大規模衝突です。
Ⅲ 悪党取り締まり要請(1290年代)
荘園をおそう新興武士集団=悪党が各地で増え、朝廷は鎌倉幕府に「取り締まってほしい」と願い出ました。
Ⅱ 建武式目で朝廷権限を制限(1336年)
鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が復権をねらいましたが、足利尊氏が建武式目を出し、
京都の市政権や段銭徴収権などを朝廷から奪い室町幕府の管轄としました。
誤りです。
正しい年代順です。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
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