大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問59 (<旧課程>日本史B(第6問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問59(<旧課程>日本史B(第6問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章Aは、授業の課題で銅像の歴史について調べている高校生のユウさんとリョウさんの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

A
ユウ:a近代の銅像で有名なのは、1897年に制作された東京の上野公園にある西郷隆盛像だね。西南戦争で官位をはく奪されていた西郷が、1889年の( ア )を機に改めて正三位を贈られたことで、銅像の建設運動が行われたんだ。この銅像は、高村光雲が中心になって制作されたんだよ。
リョウ:えっ、高村光雲って伝統的な木彫で有名な人だよね。その人が銅像を作るなんてちょっと信じられないな。
ユウ:光雲の息子である光太郎は、ロダンに師事して彫刻を学んだ( イ )と親しかったけれど、光雲も西洋の技法にも関心を持っていたんだよ。
リョウ:ふーん。西郷以外にどんな人が銅像になったの?
ユウ:例えば、伊藤博文の銅像は、1904年に神戸に建てられているよ。政治家だけでなく、江戸時代に大名だった人たちも銅像になっているよ。例えば、b井伊直弼の銅像は、有志が何度も明治政府に建設を願い出て、ようやく1909年に建てられることになったんだ
リョウ:これだけ有名な人たちが銅像になるのだったら、天皇も銅像になったの?
ユウ:いい質問だね。c明治天皇が死去した時に銅像建設の動きがあったけれど、賛否両論があって、結局、明治神宮が建設されることになったんだ

空欄ア・イに入る語句の組合せとして正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • ア 国会開設の勅諭の発出  イ 荻原守衛
  • ア 国会開設の勅諭の発出  イ 島村抱月
  • ア 大日本帝国憲法の発布  イ 荻原守衛
  • ア 大日本帝国憲法の発布  イ 島村抱月

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この過去問の解説 (1件)

01

解答:ア=大日本帝国憲法の発布、イ=荻原守衛

 

この問題では、(ア)西郷隆盛像の建設のきっかけとなった1889年の出来事と、(イ)高村光太郎と親しくロダンの弟子だった人物について聞いています。

では、(ア)と(イ)の選択肢をそれぞれ考えていきましょう。

 

〔アの検討〕

①大日本帝国憲法の発布

正しいです。大日本帝国憲法の発布をきっかけに、西南戦争で反乱者として扱われた西郷隆盛の名誉が回復し、上野に西郷像を建設する動きが活発になりました。

②国会開設の勅諭

誤りです。1881年10月12日に明治天皇が発した1890年に国会を開設することを約束したものです。これは問題文の1889年と時期がズレてしまいます。

 

〔イの検討〕

①荻原守衛

正しいです。ロダンの弟子につき、日本近代彫刻の先駆者となりました。高村光太郎と深い親交があったことで知られています。

②島村抱月

誤りです。島村抱月は新劇運動の文学者・評論家です。そもそも彫刻家ではないので不適切です。

選択肢1. ア 国会開設の勅諭の発出  イ 荻原守衛

誤りです。

選択肢2. ア 国会開設の勅諭の発出  イ 島村抱月

誤りです。

選択肢3. ア 大日本帝国憲法の発布  イ 荻原守衛

正しい選択肢です。

選択肢4. ア 大日本帝国憲法の発布  イ 島村抱月

誤りです。

まとめ

西郷像は大日本帝国憲法発布(1889)による名誉回復を背景に高村光雲らが作りました。その光雲の子・高村光太郎は荻原守衛と親しく、2人は同時代にヨーロッパで共に芸術を学び、ロダンから教わった近代彫刻で日本彫刻の基礎を作りました。したがってア=大日本帝国憲法の発布、イ=荻原守衛が正解となります。

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