共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問2 (<旧課程>世界史B(第1問) 問2)
問題文
あるゼミで、大学生がヨーロッパの女性の活躍について発表している。
中井:ヨーロッパでは主に16世紀以降、各国で女性君主が登場しますが、名誉革命を通じて夫と共同で王位に就いたイギリスの( ア )もその一人です。そこで私は、この時期のヨーロッパを女性が活躍した社会だと考えました。
横山:待ってください。女性君主がいても、それが受け入れられていたとは限りません。例えば、a オーストリア継承戦争があり、その後に七年戦争が起こっています。
中井:でも、国によっては、女性に即位する権利があったことは確かです。
横山:即位する権利があれば、その社会で女性が活躍しているという見方も検討が必要だと思います。
教授:面白い論点が出てきましたね。では、女性の立場と権利との関係について、もう少し議論してみましょうか。
中井:女性君主以外の事例としては、フランス革命初期に女性が活躍したと聞いたことがあります。なんだか、16世紀以降のヨーロッパで一般の女性がどう生きていたのか、興味が湧いてきました。
横山:しかし、一般の女性について調べるのは難しくはありませんか。
教授:ではまず、16世紀以降に活躍した、君主でもその配偶者でもない女性の名前を、高校世界史の教科書などから調べてみてください。一般の女性について調べるのは難しくても、著名な女性について知ることができるでしょう。せっかくなので、ここまでに挙がった点に注意しながら、もう一度、発表してみてください。
中井:分かりました。それでは次回、これまでの議論やアドバイスに従って、女性の活躍の事例を発表してみたいと思います。
下線部aに関連する出来事について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問2(<旧課程>世界史B(第1問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
あるゼミで、大学生がヨーロッパの女性の活躍について発表している。
中井:ヨーロッパでは主に16世紀以降、各国で女性君主が登場しますが、名誉革命を通じて夫と共同で王位に就いたイギリスの( ア )もその一人です。そこで私は、この時期のヨーロッパを女性が活躍した社会だと考えました。
横山:待ってください。女性君主がいても、それが受け入れられていたとは限りません。例えば、a オーストリア継承戦争があり、その後に七年戦争が起こっています。
中井:でも、国によっては、女性に即位する権利があったことは確かです。
横山:即位する権利があれば、その社会で女性が活躍しているという見方も検討が必要だと思います。
教授:面白い論点が出てきましたね。では、女性の立場と権利との関係について、もう少し議論してみましょうか。
中井:女性君主以外の事例としては、フランス革命初期に女性が活躍したと聞いたことがあります。なんだか、16世紀以降のヨーロッパで一般の女性がどう生きていたのか、興味が湧いてきました。
横山:しかし、一般の女性について調べるのは難しくはありませんか。
教授:ではまず、16世紀以降に活躍した、君主でもその配偶者でもない女性の名前を、高校世界史の教科書などから調べてみてください。一般の女性について調べるのは難しくても、著名な女性について知ることができるでしょう。せっかくなので、ここまでに挙がった点に注意しながら、もう一度、発表してみてください。
中井:分かりました。それでは次回、これまでの議論やアドバイスに従って、女性の活躍の事例を発表してみたいと思います。
下線部aに関連する出来事について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- オーストリア継承戦争の結果、ユトレヒト条約が結ばれた。
- プロイセンが、七年戦争でスペインの支援を受けた。
- オーストリアとフランスとの同盟の締結は、外交革命と呼ばれた。
- マリ=アントワネットが、フリードリヒ2世の王妃となった。
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この過去問の解説 (3件)
01
「待ってください。女性君主がいても、それが受け入れられていたとは限りません。例えば、オーストリア継承戦争があり、その後に七年戦争が起こっています。」とあります。
つまり、横井さんは中井さんの「ヨーロッパでは主に16世紀以降、各国で女性君主が登場しますが、名誉革命を通じて夫と共同で王位に就いたイギリスの( ア )もその一人です。そこで私は、この時期のヨーロッパを女性が活躍した社会だと考えました」に対して「女性君主がいても、それが受け入れられていたとは限りません」としてその例としてオーストリア承継戦争と七年戦争を挙げました。
オーストリアやジュレジェン地方等統治していたカール6世が死亡し、女性君主であるマリア・テレジアが承継しようとしたことについてハプスブルク家の中で反発がありました。
これが横井さんの言う「女性君主がいても、それが受け入れられていたとは限りません」です。
そこでオーストリアを承継しようとするマリア・テレジアと、これに反対するハプスブルク家に利害が一致した各国が加勢して起きたのがオーストリア承継戦争です。
ただ、戦争によってジュレジェン地方が無防備となり、そこにプロセインが進軍し、ジュレジェン地方をプロセインに取られてしまいました。
一方、オーストリア承継戦争の結果、マリア・テレジアはオーストリアの承継は認められました。
このマリア・テレジアがオーストリアを承継することを認め、ジュレジェン地方をプロセインがもっていくということが決まったのがアーヘン和約です。
中井さんの「ヨーロッパでは主に16世紀以降、各国で女性君主が登場します」といっているところです。
そして、プロセインからジュレジェン地方を取り返そうとして起きたのが七年戦争です。
オーストリア承継戦争の結果、結ばれたのは上にあるとおり「アーヘン和約」です。
七年戦争では「敵の敵は味方」というように自国に都合のいいほうに加勢したわけですが、プロセインにはイギリスが加勢しました。
当時イギリスと不仲だったスペインはオーストリア側に加勢したほうが都合がいいです。
逆を言えば自分と不仲なイギリスとプロセインに加勢するのは都合悪いわけです。
嫌いな奴の手伝いなんて嫌でしかないですよね。
よって「スペインの支援を受けた」とする部分が誤っています。
プロセインからジュレジェン地方を取り返そうとしたとき、マリア・テレジアが目を付けたのは当時プロセインと不仲であったフランスです。
ハプスブルク家もフランスとは不仲でしたが「敵の敵は味方」というようにプロセインと戦うにはプロセインと不仲で軍事的に強い国を味方につけることは重要です。
そこでオーストリアはフランスと同盟を結びました。
これを外交革命といいます。
よって、この記述に何ら誤りはなく正答です。
今回問題となっているのは「オーストリア承継戦争」と「七年戦争」なので「王妃となった」というのは整合性がありません。
「待ってください。女性君主がいても、それが受け入れられていたとは限りません。例えば、オーストリア継承戦争があり、その後に七年戦争が起こっています。」とあるように女性君主が承継することに反対する勢力と利害関係が一致した国が加勢したり無防備になったところを攻め込んだりして起きたのがオーストリア承継戦争です。
オーストリア承継戦争の結果アーヘン和約によってマリア・テレジアがオーストリア承継することは認めるけどプロセインがジュレジェン地方をもっていくという事が決まったわけです。
だから「ヨーロッパでは主に16世紀以降、各国で女性君主が登場します」と言っているわけです。
そしてプロセインを取り返したいオーストリアと「敵の敵は味方」という戦争に加勢して敵を倒そうという利害が一致して起きたのが七年戦争です。
それを理解すれば横井さんと中井さんが何を言いたいか理解できるかと思います。
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02
オーストリア継承戦争と七年戦争のポイントを確認します。
オーストリア継承戦争(1740~48)
・マリア=テレジアの即位をプロイセン王フリードリヒ2世が認めず
・シュレジェンをめぐるオーストリアとプロイセンの争いも原因
・アーヘンの和約で終結し、プロイセンが勝利
→シュレジェン地方はプロイセンが獲得した
→神聖ローマ皇帝には、マリア・テレジアの夫が即位
七年戦争(1756~63)
・オーストリアが宿敵フランスと同盟(外交革命)
・ロシアを味方につけたオーストリアがシュレジェン奪還を掲げて戦争開始
・ロシアで親プロイセンの皇帝が即位したため、包囲網が瓦解
・フベルトゥスブルク条約で終結
→シュレジェンはプロイセン領として確定
・イギリスはプロイセンに味方をしてオーストリア側のフランス・スペインと戦う
→パリ条約でイギリスはフランスから広大な植民地を奪う
誤り
オーストリア継承戦争の講和条約はアーヘンの和約です。
誤り
スペインはオーストリア側についてイギリス・プロイセンと戦いました。
正しい
マリア=テレジアの娘であるマリー=アントワネットがフランスに嫁ぐことで
長年の宿敵関係を解消しました。
この出来事を、外交革命といいます。
誤り
マリー=アントワネットはのちのフランス王ルイ16世の王妃となりました。
オーストリア継承戦争と七年戦争は、ヨーロッパのほぼすべての国が参戦した
大規模な戦争です。
どの国とどの国が戦ったのかという交戦国の組み合わせに加え、
同時期にヨーロッパ以外の植民地でも展開された戦争についても、
広い視点から整理して理解しておく必要があります。
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03
最も適当な文は、
「オーストリアとフランスとの同盟の締結は、外交革命と呼ばれた」 です。
オーストリア継承戦争に関連して、オーストリアとフランスとの同盟締結が重要な出来事として記録されています。
この同盟は「外交革命」と呼ばれ、オーストリアのマリア・テレジアとフランスとの連携が強化されました。
ユトレヒト条約は1713年に結ばれたもので、オーストリア継承戦争(1740年~1748年)とは時期が異なります。
したがって、この選択肢は不正解です。
七年戦争(1756年~1763年)では、プロイセンはイギリスと同盟を組み、スペインはフランスと同盟を組んでいました。
したがって、プロイセンがスペインの支援を受けることはありません。
この選択肢も不適当です。
オーストリアとフランスは、オーストリア継承戦争の後、外交革命と呼ばれる重要な政策転換を行い、これまでの敵同士が同盟を結びました。
この同盟はオーストリアのマリア・テレジアとフランスのルイ15世によって強化され、ヨーロッパの勢力均衡を変えました。
マリ=アントワネットはフランスの王妃で、プロイセンのフリードリヒ2世とは結婚していません。
したがって、この選択肢は不正解です。
オーストリア継承戦争後のオーストリアとフランスの同盟締結は、外交革命として歴史に名を刻んでいます。
これにより、フランスとオーストリアは長年の敵対関係を乗り越えて協力し、ヨーロッパの政治情勢に大きな影響を与えました。
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