大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問57 (日本史B(第5問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問57(日本史B(第5問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

日本史探究部に所属している高校生のハジメさんは、「明治はじめて物語」というテーマで研究発表をすることになった。ハジメさんが発表のために作成した次の発表原稿を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

発表原稿
〈洋服の始まり〉
1858(安政5)年に締結された条約に基づき、その翌年には横浜・長崎・( ア )で欧米諸国との貿易が始まった。a 日本と欧米諸国の貿易が進展するに伴い、西洋文明の生活様式も徐々に日本社会へ浸透していった。
例えば、永井荷風は『洋服論』のなかで「日本人そもそも洋服の着始めは旧幕府仏蘭西(フランス)式歩兵の制服にやあらん」と指摘しており、明治時代になると洋服を着る習慣は、( イ )から次第に広まった。

〈銀行の始まり〉
明治新政府が樹立されると、生活様式だけでなく、様々な社会制度も西洋文明を模範として再編されていった。
例えば、貨幣制度の整備は政府の重要課題であったため、1872(明治5)年にアメリカの制度を参考にしてb 国立銀行条例が定められ、翌年に第一国立銀行が発足した。
もっとも、江戸時代にも三貨の両替や為替の発行を業務とする商人は存在しており、日本の銀行が西洋文明の影響だけを受けて登場したわけではない。c 明治時代に新たに登場した生活様式や社会制度、文化活動のなかには、西洋文明の影響を受けつつ、同時に日本の伝統を引き継いでいるものがいくつも存在する

下線部bに関連して、銀行の始まりに関して調べたハジメさんは、次の史料を見つけた。この史料を参考にしつつ、国立銀行に関して述べた文として最も適当なものを、後のうちから一つ選べ。

史料
国立銀行条例は、明治五年十一月はじめて発布せられ(中略)政府の命令同様の慫慂(しょうよう)(注)にて、三井組、小野組発起し、資本金二百五十万円の銀行を設立することとなり、(中略)国立銀行条例に準拠し、六年八月一日開業の式をあげ、(中略)これを第一国立銀行とす。(中略)明治九年八月五日、華士族禄制変更のために、金禄公債一億七千余万円を発行せり。この公債証書をもって、国立銀行設立を申請する者夥(おびただ)しく、(中略)多数の乱立をみたり。
(石井研堂『明治事物起原』)
(注)慫慂:勧めてそうするように仕向けること。
  • 当初、国立銀行が発行する銀行券は、正貨との兌換は義務付けられていなかった。
  • 国立銀行の中では、第一国立銀行だけが政府から紙幣発行の権限を与えられた。
  • 政府は、三井組と小野組が出資して設立した銀行に対抗するため、第一国立銀行を設立した。
  • 金禄公債証書をもとに、国立銀行を設立しようとする華族や士族が多く現れた。

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この過去問の解説 (3件)

01

国立銀行条例に関する史料を読み解く出題です。

選択肢1. 当初、国立銀行が発行する銀行券は、正貨との兌換は義務付けられていなかった。

誤りです。

国立銀行条例は殖産興業促進や不換紙幣整理のために制定された条例です。不換紙幣を整理するために、兌換規定を付していました。

選択肢2. 国立銀行の中では、第一国立銀行だけが政府から紙幣発行の権限を与えられた。

誤りです。

民間設立の国立銀行が、紙幣を発行することができました。「第一国立銀行だけ」は誤りです。

選択肢3. 政府は、三井組と小野組が出資して設立した銀行に対抗するため、第一国立銀行を設立した。

誤りです。

史料には「政府の命令同様の慫慂(しょうよう)(注)にて、三井組、小野組発起し、資本金二百五十万円の銀行を設立することとなり、(中略)国立銀行条例に準拠し、六年八月一日開業の式をあげ、(中略)これを第一国立銀行とす。」とあります。「対抗するため」は誤りです。


 

選択肢4. 金禄公債証書をもとに、国立銀行を設立しようとする華族や士族が多く現れた。

正しいです。

史料には「華士族禄制変更のために、金禄公債一億七千余万円を発行せり。この公債証書をもって、国立銀行設立を申請する者夥(おびただ)しく、(中略)多数の乱立をみたり。」とあります。正しい選択肢です。

まとめ

国立銀行条例に関する「基礎的な知識」と「史料から読み取る内容」の二点が解答のポイントです。

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02

●問題のポイント

銀行の始まりに関して、国立銀行に関して述べられた文の中から最も適当なものを選ぶという問題です。

 

●解答

国立銀行に関して述べられた文は「金禄公債証書をもとに、国立銀行を設立しようとする家族や氏族が多く現れた。」です。

記述文を読みながら、正誤を確認しましょう。

選択肢1. 当初、国立銀行が発行する銀行券は、正貨との兌換は義務付けられていなかった。

正貨(せいか)とは、額面の価値と実質価値が等しい貨幣のこと、兌換(だかん)とは、紙幣を本位貨幣と引き換えることです。

1872年に制定された国立銀行条例では、国立銀行には紙幣発行と発行紙幣の兌換が義務付けられました。

「正貨との兌換は義務付けられていなかった」という記述は誤りです。

選択肢2. 国立銀行の中では、第一国立銀行だけが政府から紙幣発行の権限を与えられた。

明治5年(1872年)に「国立銀行条例」が制定され、民間が設立する国立銀行が金貨兌換の国立銀行券(紙幣)を発行することが定められました。

「第一国立銀行だけが政府から紙幣発行の権限を与えられた」という記述は誤りです。

選択肢3. 政府は、三井組と小野組が出資して設立した銀行に対抗するため、第一国立銀行を設立した。

三井組と小野組は、個別に銀行設立の許可を求めていましたが、大蔵省にいた渋沢栄一は、特定の組織が銀行業務を独占することを防ぎたいと考えていました。

そこで、合同銀行の提案を受けて、三井小野組合銀行が設立されました。

「三井組と小野組が出資して設立した銀行に対抗するため、第一国立銀行を設立した」という記述は誤りです。

選択肢4. 金禄公債証書をもとに、国立銀行を設立しようとする華族や士族が多く現れた。

史料に「明治九年八月五日、華士族禄制変更のために、金禄公債一億七千余万円を発行せり」と書いてあります。

明治時代の初めは、華族や士族には秩禄(ちつろく:年金のようなもの)を支給していました。しかし、その支給が政府の財政難を招いていました。そこで、明治政府は1876年、華族や士族に対して秩禄を廃止する代わりに、秩禄数年分の公債(金禄公債:きんろくこうさい)を発行して華族や士族に与えました。

さらに「この公債証書を持って、国立銀行設立を申請する者夥(おびただ)しく(中略)多数の乱立をみたり。」と書いてあります。

政府は、公債総額が約一億七千万円という巨額の公債を一時に発行することによる公債価格の暴落を憂慮し、公債証書を資本金とする銀行の設立を奨励しました。

したがって、これは正しい記述です。

まとめ

渋沢栄一は、1873年に日本で初めての銀行となる「第一国立銀行」を設立しました。明治時代の国立銀行は153行も設立されました。

特徴は、銀行券は正貨と交換できる兌換紙幣だったこと、紙幣発行の権限が与えられていたことです。

また、華族や士族に「金禄公債証書」を発行して、国立銀行設立を奨励しました。

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03

最も適当な文は、

「金禄公債証書をもとに、国立銀行を設立しようとする華族や士族が多く現れた。」 です。

選択肢1. 当初、国立銀行が発行する銀行券は、正貨との兌換は義務付けられていなかった。

当初の国立銀行券は正貨と交換できる「兌換紙幣」と定められていました。

正貨と結びつけることで紙幣の信用を保とうとしたため、兌換義務がないという記述は誤りです。

選択肢2. 国立銀行の中では、第一国立銀行だけが政府から紙幣発行の権限を与えられた。

第一国立銀行だけが紙幣発行権を持ったわけではありません。

制度上、条件を満たした国立銀行ならどこでも銀行券を発行できました。

したがってこの記述も誤りです。

選択肢3. 政府は、三井組と小野組が出資して設立した銀行に対抗するため、第一国立銀行を設立した。

第一国立銀行は、政府が三井組・小野組に「対抗」させるために別口で作ったわけではなく、むしろ政府が両組を説得して共同出資させた結果、誕生しました。

この説明も事実と合いません。

選択肢4. 金禄公債証書をもとに、国立銀行を設立しようとする華族や士族が多く現れた。

史料には、禄制改革で配られた公債が設立申請の原資となり「多数の乱立」を招いたとあります。

これが正しい記述です。

まとめ

国立銀行はアメリカ型の制度を手本に、正貨兌換を前提とした紙幣発行権を複数の銀行に与える仕組みでした。

その伸張を後押ししたのが金禄公債です。

俸禄を公債に振り替えられた旧士族が、この公債を元手に銀行設立に走ったことで、明治初期に国立銀行が一気に増えたのです。

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