大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問60 (日本史B(第6問) 問2)
問題文
第一次世界大戦後の日本と国際社会の関係について作成したプリント
・大戦後の日本:複数の国際会議に参加。新しい国際社会の構築への関与。
例:1921~22年のワシントン会議 → a 日本は多くの新条約を締結、古い条約を廃棄。
・b 不戦条約の締結(1928年):日本も調印・批准。
内容:国際紛争を解決する手段としての戦争を、放棄すると誓う。
・1931年9月~:日本軍が中国東北部で軍事行動を開始。
疑問点:c 日本政府は、不戦条約などとの関係をどう考えたのか?
・その後の展開:国際組織や条約からの相次ぐ脱退。
疑問点:d 国際社会との関係を日本の指導者たちはどう構想したのか?
下線部bに関連して、この条約に調印した内閣について述べた文として正しいものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問60(日本史B(第6問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
第一次世界大戦後の日本と国際社会の関係について作成したプリント
・大戦後の日本:複数の国際会議に参加。新しい国際社会の構築への関与。
例:1921~22年のワシントン会議 → a 日本は多くの新条約を締結、古い条約を廃棄。
・b 不戦条約の締結(1928年):日本も調印・批准。
内容:国際紛争を解決する手段としての戦争を、放棄すると誓う。
・1931年9月~:日本軍が中国東北部で軍事行動を開始。
疑問点:c 日本政府は、不戦条約などとの関係をどう考えたのか?
・その後の展開:国際組織や条約からの相次ぐ脱退。
疑問点:d 国際社会との関係を日本の指導者たちはどう構想したのか?
下線部bに関連して、この条約に調印した内閣について述べた文として正しいものを、次のうちから一つ選べ。
- 幣原喜重郎を外相に起用し、列強との協調を重視する外交を展開するとともに、ソ連との国交を樹立した。
- 無政府主義者の青年が虎ノ門(虎の門)付近で摂政宮(皇太子)を狙撃した事件の責任をとって総辞職をした。
- アメリカによる共同出兵の提唱を受けて、同国およびイギリス・フランスとともにシベリア方面に出兵した。
- 25歳以上の男性に選挙権が、30歳以上の男性に被選挙権がある最初の総選挙を実施した。
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この過去問の解説 (3件)
01
不戦条約を締結した田中義一内閣の時代の出来事からの出題です。
「幣原喜重郎を外相に起用し、列強との協調を重視する外交を展開するとともに、ソ連との国交を樹立した。」は加藤高明内閣の出来事です。
「無政府主義者の青年が虎ノ門(虎の門)付近で摂政宮(皇太子)を狙撃した事件の責任をとって総辞職をした。」は第二次山本権兵衛内閣の出来事です。
「アメリカによる共同出兵の提唱を受けて、同国およびイギリス・フランスとともにシベリア方面に出兵した。」は寺内正毅内閣の出来事です。
「25歳以上の男性に選挙権が、30歳以上の男性に被選挙権がある最初の総選挙を実施した。」は田中義一内閣の出来事です。
内閣とその出来事はセットで暗記をする内容です。一問一答レベルを復習しましょう。
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02
●問題のポイント
日本は1928年に不戦条約に調印・批准しました。このときの内閣について述べた文として正しいものを選ぶという問題です。
●解答
正しい説明は「25歳以上の男性に選挙権が、30歳以上の男性に被選挙権がある最初の総選挙を実施した。」です。
1928年に締結された不戦条約は「国際紛争解決手段としての戦争を放棄し、平和的解決を誓った国際条約」。田中義一(1927年~1929年)内閣のときでした。
この内閣について述べた文を読みながら、正誤を確認していきましょう。
1925年、幣原喜重郎は1917年のロシア革命により断絶していた国交を展開して、1925年に日ソ基本条約の締結に貢献しました。加藤高明内閣のときです。
この記述は誤りです。
1923年に起った事件で、後の昭和天皇の皇太子のころが狙撃されました(未遂に終わりましたが、が犯人は死刑)。山本権兵衛内閣のときで、後藤新平(内務大臣)、平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう:司法大臣)で、総辞職しています。
この記述は誤りです。
出兵したのは、1918年~1922年。目的はロシア革命により囚われたチェコ軍団の救出でした。
寺内正毅(てらうち まさたけ)内閣のときです。在職中に「米騒動」が起こり、責任をとって総辞職しています。
この記述は誤りです。
25歳以上の男性への参政権は1925年5月5日に公布されました。最初の総選挙は、1928年2月20日、田中義一内閣の下で実施された帝国議会(衆議院)の総選挙でした。
したがってこの記述は正しいといえます。
田中義一内閣は、1927年~1929年の在職でした。
1925年に普通選挙法が制定、25歳以上の男性に選挙権が与えられ、1928年2月に初めての総選挙が実施され、1928年8月不戦条約を締結しました。
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03
正しい選択肢は、
「25歳以上の男性に選挙権が、30歳以上の男性に被選挙権がある最初の総選挙を実施した。」です。
不戦条約(パリ不戦条約)は1928年8月に調印され、日本側の署名・批准を行ったのは田中義一内閣です。
この内閣は同年2月、普通選挙法に基づく初の総選挙(有権者25歳以上の男性・被選挙人30歳以上の男性)を実施しました。
これは加藤高明内閣(1924-26年)の特徴で、不戦条約調印時期とは一致しません。
虎ノ門事件(1923)で辞職したのは第2次山本権兵衛内閣です。
時期が違います。
シベリア出兵(1918)は寺内正毅内閣であり、不戦条約より10年早い出来事です。
1928年2月のこの総選挙を実施したのが田中義一内閣で、不戦条約署名と同じ内閣です。
田中義一内閣(1927-29)
・1928年2月:普通選挙法に基づき初の男子普通選挙を施行
・1928年8月:パリ不戦条約に調印・批准
不戦条約は「戦争放棄」を掲げた理想主義的条約だったが、日本はその後の中国進出で条約精神と矛盾する行動へ傾き、国際協調から離れていきます。
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