共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問15 (<旧課程>世界史B(第3問) 問2)
問題文
A 台湾のある大学の短期研修に参加した山岸さんと嶋田さんが、楊教授と教室で会話をしている。
楊教授:今回の研修に参加している学生さんの多くが2004年生まれと聞いています。2004年ということは民国93年ですね。
山岸:民国93年というような言い方があるのですか。初めて聞きました。
楊教授:台湾では、「民国」を使って年を表すことがあります。中華民国が誕生した1912年が民国元年ですので、2004年は民国93年です。日中戦争後、国民党は中国大陸での内戦で敗退を重ね、台湾へ逃れました。そして国民党による一党支配の下で、中華民国の政府を存続させました。
嶋田:数年前に、民進党という政党の候補者が台湾の総統選挙に立候補したのをニュースで見たことがあります。
楊教授:民進党が結成されたのは1986年です。当時総統であった蔣経国はこれを黙認しました。
嶋田:蔣経国は蔣介石の息子ですね。
楊教授:はい。蔣経国は、1972年から1978年まで首相に相当する行政院長を務め、1978年から1988年まで総統を務めました。蔣経国が1988年に亡くなると、副総統であった李登輝が総統に就任し、2000年まで務めました。李登輝は「台湾民主化の父」と言われることがあります。
嶋田:李登輝総統の時代に台湾で民主化が進んだと授業で学びました。ただ、蔣経国総統の時代にも、民進党の結成や( ア )があったことを考えると、李登輝総統の時代よりも前に、限定的ながら民主化の動きが見られたと言えるかもしれませんね。
楊教授:そうですね。
山岸:李登輝総統の時代は、それ以前に比べて経済成長も顕著になったのでしょうか。a20世紀後半のアジアの民主化と経済成長の関係はどうなのかなと思いました。
楊教授:面白い質問ですね。このグラフは、1971年から2000年までの台湾の経済成長率の推移をまとめたものです。帰国後にレポートを書くのに役立つかもしれません。
文章中の空欄アに入れる語句あ・いと、下線部aについて述べた文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
(ア)に入れる語句
あ 「文化政治」の採用
い 戒厳令の解除
下線部aについて述べた文
X インドネシアでスハルト政権が崩壊した。
Y 中国で光州事件が起こった。
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問題
共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問15(<旧課程>世界史B(第3問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
A 台湾のある大学の短期研修に参加した山岸さんと嶋田さんが、楊教授と教室で会話をしている。
楊教授:今回の研修に参加している学生さんの多くが2004年生まれと聞いています。2004年ということは民国93年ですね。
山岸:民国93年というような言い方があるのですか。初めて聞きました。
楊教授:台湾では、「民国」を使って年を表すことがあります。中華民国が誕生した1912年が民国元年ですので、2004年は民国93年です。日中戦争後、国民党は中国大陸での内戦で敗退を重ね、台湾へ逃れました。そして国民党による一党支配の下で、中華民国の政府を存続させました。
嶋田:数年前に、民進党という政党の候補者が台湾の総統選挙に立候補したのをニュースで見たことがあります。
楊教授:民進党が結成されたのは1986年です。当時総統であった蔣経国はこれを黙認しました。
嶋田:蔣経国は蔣介石の息子ですね。
楊教授:はい。蔣経国は、1972年から1978年まで首相に相当する行政院長を務め、1978年から1988年まで総統を務めました。蔣経国が1988年に亡くなると、副総統であった李登輝が総統に就任し、2000年まで務めました。李登輝は「台湾民主化の父」と言われることがあります。
嶋田:李登輝総統の時代に台湾で民主化が進んだと授業で学びました。ただ、蔣経国総統の時代にも、民進党の結成や( ア )があったことを考えると、李登輝総統の時代よりも前に、限定的ながら民主化の動きが見られたと言えるかもしれませんね。
楊教授:そうですね。
山岸:李登輝総統の時代は、それ以前に比べて経済成長も顕著になったのでしょうか。a20世紀後半のアジアの民主化と経済成長の関係はどうなのかなと思いました。
楊教授:面白い質問ですね。このグラフは、1971年から2000年までの台湾の経済成長率の推移をまとめたものです。帰国後にレポートを書くのに役立つかもしれません。
文章中の空欄アに入れる語句あ・いと、下線部aについて述べた文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
(ア)に入れる語句
あ 「文化政治」の採用
い 戒厳令の解除
下線部aについて述べた文
X インドネシアでスハルト政権が崩壊した。
Y 中国で光州事件が起こった。
- あ ― X
- あ ― Y
- い ― X
- い ― Y
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この過去問の解説 (3件)
01
戦後の台湾の歴史に関する出題です。
台湾の歴史を整理します。
1945年:日本降伏(台湾総督府による支配が終わる)
・以後、中国国民政府の支配下にはいる
1947年:二・二八事件
・台湾全島で反国民政府の蜂起が発生したが、鎮圧された
1949年:国民政府が台北に遷都
1950年:朝鮮戦争が起きる
・アメリカは台湾海峡の中立を宣言
1952年:日華平和条約
・日本と国民政府(台湾)との講和が成立
1950年代:中国が大陸に近い金門島や馬祖島をたびたび砲撃
1970年代:開発独裁により経済が発展
・アジアNIEsの一つに数えられる
1971年:中華民国が国連での代表権を失う
1975年:蒋介石死去
・総統に息子の蔣経国が就任
1986年:民進党結成
1987年:戒厳令解除
1988年:蔣経国が死去
・李登輝が台湾出身者(本省人)として初の総統に就任
1990年代:台湾の民主化が実現
1996年:李登輝が国民の直接選挙による総統選挙で勝利
2000年:民進党の陳水扁が当選
アに入る語句は、戒厳令解除の い があてはまります。
あ の文化政治は、1920年代に朝鮮総督府が行った政策です。
これまでの武断的な政治を改め、朝鮮人を地方制度で登用するなどの融和策を取りました。
次に下線部aについてです。
スハルトは1965年のクーデタでスカルノに代わってインドネシア大統領になった人物です。
1960年代後半から1990年代まで開発独裁を続けましたが、1998年に退陣しました。
20世紀後半の出来事であるため、Xは妥当です。
光州事件は、1980年に韓国の光州市で起きた民主化運動に対する弾圧事件です。
軍事政権である全斗煥政権が軍を投入して市民・学生を制圧しました。
中国で起きた事件ではないため、Yは不適です。
戦後アジア各国の現代史を体系的に学習する必要があります。
特に台湾(二・二八事件、戒厳令解除、民主化)、韓国(光州事件)、インドネシア(スハルトの開発独裁)など、冷戦下の政治体制と民主化の流れを年代順に整理しましょう。
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02
(ア) には い 戒厳令の解除 が当てはまります。
台湾では、1949-87年まで38年間戒厳令が出されていました。
「文化政治」の採用は台湾における日本の植民地統治方法で、1919年から実施されました。
下線部aについて述べた文 X インドネシアでスハルト政権が崩壊した。 が当てはまります。
開発独裁のスハルト政権が崩壊したのは1998年です。
光州事件は韓国で1980年に起きた民主化要求蜂起です。
よって、正解は い ― X になります。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
正しい選択肢です。
誤った選択肢です。
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03
正しい組み合わせは、「いーX」です。
【各選択肢の検討】
(ア)に入る語句
戒厳令の解除(い)
1987年、38年間続いた戒厳令を蒋経国が解除したことは、言論・結社の自由を大きく拡大させ、翌年の野党容認と相まって台湾民主化の出発点となりました。
→ 民主化の具体的前進を示すのは「戒厳令の解除」
「文化政治」の採用(あ)は、1970年代前半に蒋経国が掲げたスローガンですが、民主化との直接的な結び付きは薄く、表向きの政策転換にとどまりました。
下線部a(民主化と経済成長の関係)
X:インドネシアでスハルト政権が崩壊した
アジア通貨危機で経済が打撃を受けた後、長期の権威主義体制が崩れ、以後は民主化と経済再建を同時に進めました。
民主化と経済発展を比較検討する好例です。
Y:中国で光州事件が起こった
光州事件は1980年の韓国での民主化運動弾圧です。
場所も内容も誤っています。
誤りです。
誤りです。
正しい組み合わせです。
誤りです。
蔣経国政権下で見られた限定的な民主化の動きとして最も大きいものは戒厳令の解除(1987年)です。
また、20世紀後半のアジアではスハルト政権崩壊(1998年)が「経済成長を遂げた権威主義体制の民主化」という代表例に当たります。
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