大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問63 (<旧課程>日本史B(第6問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問63(<旧課程>日本史B(第6問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章Bは、授業の課題で銅像の歴史について調べている高校生のユウさんとリョウさんの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

B
ユウ:d戦時期になると、多くの銅像が金属供出で倒されることになるんだよね。
リョウ:うん、1923年に建てられたある軍人の銅像も、戦時期に、台座のみを残して供出されたよ。e戦後になると、この台座には、広告会社によって裸婦の群像が据えられたよ
ユウ:戦後にはテレビドラマやアニメの登場人物の銅像までも作られるようになったね。例えば、1983年には、手塚治虫の描いた鉄腕アトムの銅像が埼玉県に建てられている。「鉄腕アトム」は、f科学技術の進歩に対する期待が高まっていた1950年代に雑誌連載が始まった漫画だよ。
リョウ:どんな銅像が建てられるのか、時代によって変わっていくんだね。

下線部dに関して、日中戦争の勃発から敗戦までの政治・社会について述べた文として正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 戦争が長引くにつれて、米不足が深刻化し、主食がさつまいもなどで代用されるようになった。
  • 独占禁止法が制定され、物資の買い占め・売り惜しみが禁じられた。
  • イギリスによる段祺瑞政権への物資援助に反発して、人々の間で反英の機運が高まった。
  • 米内光政内閣によって「東亜新秩序」の建設が声明されて以降、人々の間で東南アジアへの関心が強まっていった。

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は「日中戦争の勃発から敗戦までの政治・社会」に関する問題です。

日中戦争は1937年7月7日盧溝橋事件を機に勃発し、1945年8月15日まで続いた日本と中国の戦争です。

当時は国家総動員法が導入され、配給制の導入や女性の労働力化など国による統制的な生活が強いられました。

 

選択肢1. 戦争が長引くにつれて、米不足が深刻化し、主食がさつまいもなどで代用されるようになった。

正しいです。

日中戦争の長期化により、農民も兵士として徴用されようになりました。それにより、農民人口が減少し、食料生産量も減少しました。日本は食糧難に陥り、特に米不足が慢性化しました。そこで、さつまいも、じゃがいも、カボチャなどが代用食として用いられるようになりました。

 

選択肢2. 独占禁止法が制定され、物資の買い占め・売り惜しみが禁じられた。

誤りです。 独占禁止法は戦後の1947年の法律であり、戦時期ではありません。

選択肢3. イギリスによる段祺瑞政権への物資援助に反発して、人々の間で反英の機運が高まった。

誤りです。段祺瑞は第一次世界大戦中の1910~20年代の中国指導者です。日中戦争の時期(1937年~1945年)とは異なります。

選択肢4. 米内光政内閣によって「東亜新秩序」の建設が声明されて以降、人々の間で東南アジアへの関心が強まっていった。

誤りです。「東亜新秩序」は近衛文麿内閣(1938)のスローガンであり、米内光政ではありません。米内光政は日独伊三国同盟の締結阻止や戦争終結に尽力しました。総理大臣としては半年で総辞職しています。

まとめ

日中戦争(1937年~1945年)は配給制が導入され、米不足から麦・雑穀・いも類の代用食が広がりました。独占禁止法は戦後1947年に制定、段祺瑞は1910年~20年代の中国指導者であるため戦争前、「東亜新秩序」は近衛文麿内閣(1938)で米内内閣ではありません。

 

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