大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問62 (<旧課程>日本史B(第6問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問62(<旧課程>日本史B(第6問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章Aは、授業の課題で銅像の歴史について調べている高校生のユウさんとリョウさんの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

A
ユウ:a近代の銅像で有名なのは、1897年に制作された東京の上野公園にある西郷隆盛像だね。西南戦争で官位をはく奪されていた西郷が、1889年の( ア )を機に改めて正三位を贈られたことで、銅像の建設運動が行われたんだ。この銅像は、高村光雲が中心になって制作されたんだよ。
リョウ:えっ、高村光雲って伝統的な木彫で有名な人だよね。その人が銅像を作るなんてちょっと信じられないな。
ユウ:光雲の息子である光太郎は、ロダンに師事して彫刻を学んだ( イ )と親しかったけれど、光雲も西洋の技法にも関心を持っていたんだよ。
リョウ:ふーん。西郷以外にどんな人が銅像になったの?
ユウ:例えば、伊藤博文の銅像は、1904年に神戸に建てられているよ。政治家だけでなく、江戸時代に大名だった人たちも銅像になっているよ。例えば、b井伊直弼の銅像は、有志が何度も明治政府に建設を願い出て、ようやく1909年に建てられることになったんだ
リョウ:これだけ有名な人たちが銅像になるのだったら、天皇も銅像になったの?
ユウ:いい質問だね。c明治天皇が死去した時に銅像建設の動きがあったけれど、賛否両論があって、結局、明治神宮が建設されることになったんだ

下線部cに関連して、次の史料2は明治天皇が死去した年の新聞に掲載された、明治天皇の銅像建設に関する板垣退助の意見である。この意見の内容と、この意見が掲載された時期の板垣退助に関して述べた後の文a~dについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

史料2
陛下の御銅像を製し奉り、以て民衆をして陛下に接するの思いあらしむるの必要ありと信ず。既に又神宮を建立して、其(その)御徳を慕い奉らんとするの希望説もあるべけれど、神宮のみにては如何(いか)にも物足らぬ心地せらるれば、必ず銅像を建立し御英姿を拝し得るようしたきもの也(なり)。
(『東京朝日新聞』)

a  史料2で板垣退助は、天皇をまのあたりにしているような思いを抱かせる銅像を建設することこそが、人々の間で天皇を慕う気持ちを高めるために必要な方法だと述べている。
b  史料2で板垣退助は、神宮を建設すれば人々の間で天皇を慕う気持ちは十分に高まるので、銅像を建設する必要はないと述べている。
c  この時期、板垣退助が党首を務めた自由党はすでに解党されていた。
d  この時期、板垣退助は、元首相として元老に任じられ、首相の選任に関与していた。
  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

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この過去問の解説 (1件)

01

正解:a・c

設問は、明治天皇崩御(1912年)の年に掲載された板垣退助の投書(史料2)の読み取りと、その当時の板垣の立場を問うものです。

 

〈史料2の現代語訳〉

天皇陛下の銅像をお作りして、国民が陛下を身近にお会いする思いを抱けるようにする必要があると考えています。すでに、神宮を建ててそのご徳をお慕いしようという案もありますが、神宮だけではあまり物足りなく感じられます。そのため、必ず銅像も建立して、見事なお姿を拝することができるようにしたいです。

 

〔a〕

史料2では「銅像を建立し御英姿を拝し得るようにしたい」「神宮のみでは物足りない」と書かれており、神宮だけでなく銅像の建立が必要だと主張しています。よってaは正しいです。

 

〔b〕

「神宮で十分なので銅像は不要」という趣旨ですが、史料はむしろ神宮だけでは足りず、銅像も必要だと書かれています。史料の内容とは真逆なので誤りです。

 

〔c〕

板垣が率いた自由党は1884年に解党し、1898年に進歩党と合併して憲政党となりました。したがって明治天皇が崩御した1912年では、「自由党はすでに解党されていた」は正しいです。

 

〔d〕

板垣退助は首相経験がなく、元老にも就いていないので誤りです。

選択肢1. a・c

正しい選択肢です。

選択肢2. a・d

誤りです。

選択肢3. b・c

誤りです。

選択肢4. b・d

誤りです。

まとめ

史料に書かれている内容を正確に把握し、神宮と銅像の両方を作る必要がある旨、1912年時点の板垣の政治的立場(自由党は既に解党となり、元老ではない)をおさえておくと、正しい組合せ(a・c)を導くことができます。

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