大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問34 (歴史総合,日本史探究(第1問) 問2)
問題文
最初の授業で、児玉さんは国際関係における「境界」に着目して、19世紀後半の東アジア諸国の国境に関連する資料を見つけ、パネルを作成した。
資料
我が国と貴国との条約では、(中略)日清間の境界を確定せず、一昨年に台湾出兵が発生した。昨年また我が国と朝鮮との間で事件が起こったのも、この条約に境界を明記していないためである。
(『大日本外交文書』)
パネル
中国王朝を中心とする世界観には、理念上、「境界」はないとされたが、実際には、中国王朝と周辺諸国・諸民族との間には、上下関係で結びつけられた秩序が存在していた。
それは、A主権国家からなる国際秩序とは異なっていた。そのため、18世紀末にイギリス人マカートニーは、琉球諸島の帰属先に対する戸惑いを記録している。
また、資料は、19世紀後半に朝鮮で起こった事件の後、当時の日本公使が李鴻章に主張したものである。ここからは、日本が清を中心とする国際秩序に対抗しようとしていたことが分かる。朝鮮王朝は、それをどのように受け止めただろうか。
資料とパネルから読み取れることや、その背景について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問34(歴史総合,日本史探究(第1問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
最初の授業で、児玉さんは国際関係における「境界」に着目して、19世紀後半の東アジア諸国の国境に関連する資料を見つけ、パネルを作成した。
資料
我が国と貴国との条約では、(中略)日清間の境界を確定せず、一昨年に台湾出兵が発生した。昨年また我が国と朝鮮との間で事件が起こったのも、この条約に境界を明記していないためである。
(『大日本外交文書』)
パネル
中国王朝を中心とする世界観には、理念上、「境界」はないとされたが、実際には、中国王朝と周辺諸国・諸民族との間には、上下関係で結びつけられた秩序が存在していた。
それは、A主権国家からなる国際秩序とは異なっていた。そのため、18世紀末にイギリス人マカートニーは、琉球諸島の帰属先に対する戸惑いを記録している。
また、資料は、19世紀後半に朝鮮で起こった事件の後、当時の日本公使が李鴻章に主張したものである。ここからは、日本が清を中心とする国際秩序に対抗しようとしていたことが分かる。朝鮮王朝は、それをどのように受け止めただろうか。
資料とパネルから読み取れることや、その背景について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 資料中の「我が国と貴国との条約」とは、下関条約である。
- 資料中の「事件」が起こったのは、清仏戦争の前である。
- 資料中の「事件」が起こった時期の日本では、外国人は自由にどこにでも居住できた。
- 資料中の「事件」を契機に、日本と朝鮮はともに領事裁判権を認め合う対等な条約を締結した。
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この過去問の解説 (1件)
01
資料には「一昨年に台湾出兵」、「昨年に朝鮮との事件」とあり、流れとして台湾出兵(1874年)→江華島事件(1875年)が想定できます。
下関条約は、日清戦争の講和条約(1895年)です。
ところが資料は、台湾出兵(1874年)が「一昨年」として触れられている形なので、話の時期は1870年代半ばと考えるのが自然です。
資料の「昨年また我が国と朝鮮との間で事件」は、流れから江華島事件(1875年)を指すと考えられます。
江華島事件(1875年)は、清仏戦争(1884~1885年)より前なので、この文が最も筋が通ります。
この時期の日本では、外国人の居住は基本的に開港場(条約港)や居留地が中心で、国内のどこにでも自由に住める状況ではありませんでした。
江華島事件の後に結ばれたのは、一般に日朝修好条規(江華条約、1876年)として知られる条約です。
これは、朝鮮にとって不利な内容を含む不平等な性格が強く、「互いに領事裁判権を認め合う対等な条約」とは言いにくいです。
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