大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問10 (歴史総合,世界史探究(第2問) 問2)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問10(歴史総合,世界史探究(第2問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史探究の授業で、世界史上の都市の歴史をテーマに、生徒たちが発表に向けた準備をしている。それらの活動に関連した次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

渡辺さんのグループは、調査の過程で、14世紀半ばの都市( ア )の状況について書かれた年代記の一部(資料)を手に入れた。その資料について、渡辺さんと先生が話をしている。

資料
( ア )における疫病は、女性と子供、小売商から始まり、ついには死者の数が増大した。スルタンは、郊外へ移動し、イスラーム暦の第7月1日から20日までにそこに滞在した。彼は、( ア )の城塞に戻ろうとしたが、郊外に逗留(とうりゅう)するように説得された。( イ )による死者の数は毎日300人に達し、第7月の末には毎日1000人以上に達した。アズハル=モスクなどでは、数日にわたりハディースの文言が唱えられ、人々はアッラーに祈願した。この疫病においては、罹患(りかん)するとすぐに死に至るため、誰も薬や医者を必要としなかった。第10月の半ばには、すでに通りや市場が死体で埋め尽くされていた。

渡辺:資料は、当時、ヨーロッパで流行していた( イ )が、地中海交易圏の都市( ア )で猛威を振るった様子を伝えるものです。
先生:ヨーロッパ同様、人口が密集する都市部での急速な感染拡大の様子がうかがえますね。
渡辺:この都市の代表的なモスクで、人々が疫病の終息を祈っている姿が、印象的です。

資料に記された時期の( ア )を支配していた王朝について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • ベルベル人が中心となって成立した王朝で、北アフリカとイベリア半島を支配した。
  • 北アフリカに興ったシーア派の王朝で、君主はカリフを称した。
  • 奴隷軍人が中心となって成立した王朝で、モンゴル軍の西進を阻止した。
  • クルド系の軍人が創始した王朝で、十字軍からイェルサレムを奪回した。

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この過去問の解説 (1件)

01

エジプトに成立したイスラム系王朝に関する出題です。

選択肢1. ベルベル人が中心となって成立した王朝で、北アフリカとイベリア半島を支配した。

不適

 

ベルベル人は北アフリカのマグリブ地方に住んでいた先住民です。

ヨーロッパではムーア人(モーロ人)と呼ばれました。

 

ベルベル人の王朝では、以下の2つについて知っておく必要があります。

 

①ムラービト朝(11世紀)

②ムワッヒド朝(12世紀)

 

いずれも、北アフリカからイベリア半島にかけての地域を支配しました。

 

選択肢2. 北アフリカに興ったシーア派の王朝で、君主はカリフを称した。

不適

 

北アフリカ(チュニジア)に興り、エジプトまで支配した王朝としてファーティマ朝があります。

イスラム教の少数派であるシーア派の王朝で、カリフを称しました。

 

ただし、ファーティマ朝は12世紀後半に滅んでいるため、

14世紀の王朝としては該当しません。

選択肢3. 奴隷軍人が中心となって成立した王朝で、モンゴル軍の西進を阻止した。

適当

 

イスラム世界の奴隷軍人はマムルークと呼ばれました。

彼らがエジプトに建てた王朝をマムルーク朝といいます。

アイユーブ朝のスルタンを殺害したトルコ人のバイバルスが建国した王朝です。

 

マムルーク朝は第6回十字軍を撃退し、エジプトに迫ったモンゴル軍も退けました。

スンナ派の王朝であり、オスマン帝国に滅ぼされるまでイスラム世界で最大の勢力でした。

 

選択肢4. クルド系の軍人が創始した王朝で、十字軍からイェルサレムを奪回した。

不適

 

十字軍をイェルサレムから奪還したのはサラディンです。

彼はクルド系の軍人で、エジプトにアイユーブ朝を建国しました。

 

しかし、アイユーブ朝は13世紀半ばに滅亡しているため、該当しません。

まとめ

エジプトを支配したイスラム王朝はよく出題されます。

ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝の流れをしっかりと整理しましょう。

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