大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問13 (歴史総合,世界史探究(第2問) 問5)
問題文
富田さんのグループは、次の図1・2を参考にしながら、バンコクの変容について発表するために話し合っている。
富田:図1と図2では、随分と大きな変化があります。例えば、仏教寺院の数が増加したり、城壁の内部でも外部でも道路が整備されたりして、市街地が城壁外に大きく拡大しています。
ムサ:主にチャオプラヤ川の東岸に沿って、北と東南に新しく道路と水路が拡大しているように見えますが、図1の時代には、城壁外の東側には何もなかったのでしょうか。
富田:人があまり住んでいない原野や湿地帯が広がっていました。人の移動が制限されるため、城壁と合わせて防衛機能を担っていたそうです。
古川:ラタナコーシン朝が成立した時期の人々が、首都バンコクの防衛を強く意識したのは、( エ )記憶が残っていたためなのでしょう。
富田:図1と図2の時代の間に、城壁と並行して走る運河のさらに外側に、パドゥンクルンカセーム運河が建設されました。また、諸外国との貿易も一因となって、市街地が拡大するなど、徐々に開発が進んでいき、都市が成長しました。
古川:この間に、対外関係で大きな変化がありました。その変化を受けて、図1に見られなかった施設が、図2には新しく見られるようになります。
富田:図1と図2を比較すると、対外関係の変化がそのまま反映された所だけでなく、その変化によって引き起こされたタイの社会的・経済的変化が表れている所もありますね。
会話文中の空欄( エ )に入る文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問13(歴史総合,世界史探究(第2問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)
富田さんのグループは、次の図1・2を参考にしながら、バンコクの変容について発表するために話し合っている。
富田:図1と図2では、随分と大きな変化があります。例えば、仏教寺院の数が増加したり、城壁の内部でも外部でも道路が整備されたりして、市街地が城壁外に大きく拡大しています。
ムサ:主にチャオプラヤ川の東岸に沿って、北と東南に新しく道路と水路が拡大しているように見えますが、図1の時代には、城壁外の東側には何もなかったのでしょうか。
富田:人があまり住んでいない原野や湿地帯が広がっていました。人の移動が制限されるため、城壁と合わせて防衛機能を担っていたそうです。
古川:ラタナコーシン朝が成立した時期の人々が、首都バンコクの防衛を強く意識したのは、( エ )記憶が残っていたためなのでしょう。
富田:図1と図2の時代の間に、城壁と並行して走る運河のさらに外側に、パドゥンクルンカセーム運河が建設されました。また、諸外国との貿易も一因となって、市街地が拡大するなど、徐々に開発が進んでいき、都市が成長しました。
古川:この間に、対外関係で大きな変化がありました。その変化を受けて、図1に見られなかった施設が、図2には新しく見られるようになります。
富田:図1と図2を比較すると、対外関係の変化がそのまま反映された所だけでなく、その変化によって引き起こされたタイの社会的・経済的変化が表れている所もありますね。
会話文中の空欄( エ )に入る文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- コンバウン朝によって、アユタヤ朝が滅ぼされた
- 阮福暎が、西山政権(西山勢力)を滅ぼした
- イギリス=ビルマ戦争によって、ビルマがインド帝国に併合された
- ナポレオン3世が、インドシナに出兵した
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
東南アジアの近現代史に関する出題です。
はじめに、タイ人の諸王朝について整理します。
スコータイ朝:13世紀中ごろ~15世紀前半
アユタヤ朝:14世紀中ごろ~18世紀中ごろ
・1431年にアンコール朝(カンボジア)に都のアンコールを占領
・16世紀後半:ビルマのタンウングー朝(トゥングー朝)に一時的に支配される
・17世紀:領内に日本町が作られた
・1767年:ビルマのコンバウン朝に滅ぼされた
ラタナコーシン朝:18世紀後半~現在
・別名はチャクリ朝、バンコク朝
・首都はバンコク
・建国者はラーマ1世
・ラーマ4世は、イギリスと不平等条約を結ぶ
・ラーマ5世は、イギリスとフランスを巧みな外交で操って独立を維持
→ラーマ5世の別名はチュラロンコン大王
適当
1767年、ビルマのコンバウン朝の侵入によりアユタヤ朝が滅亡しました。
不適
阮福暎はベトナム人です。
フランスの力を借りて西山朝を滅ぼし、阮朝を開いて初代皇帝となりました。
不適
イギリスとビルマが戦争したことは正しいですが、
ビルマがインド帝国に併合されたのは1886年であるため不適です。
不適
インドシナ出兵は、1858~62年にかけてフランスがベトナムを攻撃した戦争です。
別名を仏越戦争といいます。
当時、フランスは中国でアロー戦争を戦っていたため、仏越戦争では苦戦します。
しかし、1860年にアロー戦争が終結すると、フランスは勢いを取り戻します。
最終的に南部ベトナム(コーチシナ)をフランスが制圧して戦争が終結しました。
その後、フランスはラオスやカンボジアも併合してフランス領インドシナ連邦を成立させます。
近代の東南アジアは、進出してきたイギリス・フランスの動向に左右されます。
最終的に、東南アジアで独立を維持できたのはタイだけでした。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問10)へ
令和7年度(2025年度)本試験 問題一覧
次の問題(問14)へ