大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問20 (歴史総合,世界史探究(第3問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問20(歴史総合,世界史探究(第3問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史を探究するに当たって資料を適切に活用するには、その資料の持つ文脈や背景を理解する必要がある。このことについて述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

次の資料3は、19世紀後半にインド考古学調査局初代長官を務めたイギリス人カニンガムが、インドにおける考古学調査の必要性を述べた文章の一部である。

資料3
私の経験上、英領インドでは、多くの遺跡が美しく興味深いものであるにもかかわらず、いかに無視されてきたかに気付かされる。
プリニウスは、『博物誌』において、古代インドの地理をより明確に記述するために、アレクサンドロス大王の足跡を追い掛けている。これに倣って、私は、中国人巡礼者である( ウ )の歩みを追い掛ける。彼は、7世紀に仏教の歴史や伝統に関わる全ての名だたる遺跡を訪れている。彼の旅行記では、仏教遺跡がそれに関わる伝承とともに詳しく記述されているだけでなく、バラモン教寺院の数や外観も記されている。

18世紀以降のヨーロッパにおけるインド学の発展のなかで、イギリスのインド史研究者は、黄金期の「ヒンドゥー時代(古代)」、暗黒期の「イスラーム時代(中世)」、「イギリス時代(近代)」という時代区分を、インド史に導入した。そして彼らは、イギリスがインドの人々を( エ )から救い出し、ヒンドゥーの社会・文化を復興する時期として「イギリス時代」を位置づけることで、イギリスの植民地支配を正当化しようとした。それゆえに、植民地支配による復興の対象となる、古代インドの歴史に関心が集まっていた。
インドでの長期の経験を通じて古代史に興味を抱いたカニンガムは、ヨーロッパにおけるインド学の学者とは、歴史を研究する上での立場が異なっていた。インド古代史研究のために、インドの人々によって記されたサンスクリット語古典文献を用いるヨーロッパの学者とは異なり、カニンガムは、( ウ )の旅行記である『大唐西域記』などの資料を用いる研究手法を、資料3の中で提示している。

文章中の空欄( ウ )が訪れた時代のインドの状況について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • ハルシャ=ヴァルダナが、北インドの大部分を統一していた。
  • チャンドラグプタが、パータリプトラを都として王朝を建てた。
  • 刑罰や生活規範などを記した『マヌ法典』が成立した。
  • ナーガールジュナが、大乗仏教の教理を体系化した。

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