大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問22 (歴史総合,世界史探究(第3問) 問7)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問22(歴史総合,世界史探究(第3問) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史を探究するに当たって資料を適切に活用するには、その資料の持つ文脈や背景を理解する必要がある。このことについて述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

次の資料3は、19世紀後半にインド考古学調査局初代長官を務めたイギリス人カニンガムが、インドにおける考古学調査の必要性を述べた文章の一部である。

資料3
私の経験上、英領インドでは、多くの遺跡が美しく興味深いものであるにもかかわらず、いかに無視されてきたかに気付かされる。
プリニウスは、『博物誌』において、古代インドの地理をより明確に記述するために、アレクサンドロス大王の足跡を追い掛けている。これに倣って、私は、中国人巡礼者である( ウ )の歩みを追い掛ける。彼は、7世紀に仏教の歴史や伝統に関わる全ての名だたる遺跡を訪れている。彼の旅行記では、仏教遺跡がそれに関わる伝承とともに詳しく記述されているだけでなく、バラモン教寺院の数や外観も記されている。

18世紀以降のヨーロッパにおけるインド学の発展のなかで、イギリスのインド史研究者は、黄金期の「ヒンドゥー時代(古代)」、暗黒期の「イスラーム時代(中世)」、「イギリス時代(近代)」という時代区分を、インド史に導入した。そして彼らは、イギリスがインドの人々を( エ )から救い出し、ヒンドゥーの社会・文化を復興する時期として「イギリス時代」を位置づけることで、イギリスの植民地支配を正当化しようとした。それゆえに、植民地支配による復興の対象となる、古代インドの歴史に関心が集まっていた。
インドでの長期の経験を通じて古代史に興味を抱いたカニンガムは、ヨーロッパにおけるインド学の学者とは、歴史を研究する上での立場が異なっていた。インド古代史研究のために、インドの人々によって記されたサンスクリット語古典文献を用いるヨーロッパの学者とは異なり、カニンガムは、( ウ )の旅行記である『大唐西域記』などの資料を用いる研究手法を、資料3の中で提示している。

カニンガムと同様に、外国人として考古学的な調査を行った人物に、スタインがいる。スタインの中央ユーラシアにおける調査実施の許可に関わって残された現地政府の公文書の抜粋(資料4)から読み取れる事柄あ・いと、資料4が書かれた時期の政治的背景に関して述べた文X~Zとについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

資料4
・スタイン氏が初めて我が国にやって来たのは、8か国連合軍が都を占領した時であり、外国人は国内で好きなように振る舞うことができた。
・今日までの30年にわたるスタイン氏の調査による敦煌文書や仏像の発見は、アジアの古代研究に新時代を開いた。しかし、これらは皆、国家の貴重な宝物である。外国人がこれを研究するのはいいのだが、盗み去ることは不法行為である。

資料4から読み取れる事柄
あ  現地政府は、外国人による学術調査を奨励し、文化財・遺物を国外において保護する必要がある、と考えていた。
い  現地政府は、外国人が学術調査を利用して文化財・遺物を国外に持ち出していることを危惧し、それらを自国において保護する必要がある、と考えていた。

資料4が書かれた時期の政治的背景
X  明治維新に倣って、立憲制を目指した国制改革を進めようとしていた。
Y  国家主導の下で、改革開放政策が進められていた。
Z  全国の統一的支配の実現を目指して、北伐が進められていた。
  • あ ― X
  • あ ― Y
  • あ ― Z
  • い ― X
  • い ― Y
  • い ― Z

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この過去問の解説 (1件)

01

最も適当なのは、「い―Z」です。

選択肢6. い ― Z

資料4には、スタインの調査成果を評価しつつも、外国人が文化財・遺物を国外に持ち出すことを強く警戒している様子が書かれています。

したがって「資料4から読み取れる事柄」はが合います。
また「八か国連合軍が都を占領した時」は1900年ごろの北京占領(義和団事件)を指し、そこから「今日までの30年」を考えると1930年前後になります。

このころ中国では、全国の統一を目指す動きとして北伐が重要な政治背景になるため、Zが合います。

まとめ

資料4は、研究自体は認めても、文化財を国外へ持ち出すことは不法だとしています。

これは、あ「国外で保護する必要がある」という考え方とは反対方向です。

 

Xは、明治維新にならって立憲制を目指す国制改革で、これは主に清朝末期(1900年代前半)の話になりやすいです。

Yの改革開放政策は1978年以降の中国の政策で、資料4の時期感(八か国連合軍から約30年)と一致しません。

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