大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問37 (歴史総合,日本史探究(第1問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問37(歴史総合,日本史探究(第1問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史総合の授業で、「歴史上における境界」という主題を設定し、生徒が探究した。これらの活動に関して述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

次の授業で、丸島さんは、疫病の流行が「境界」を意識させることに興味を持ち、先生と話をしている。

丸島:b1858年の日本でのコレラ流行は、アメリカ軍艦ミシシッピ号の乗組員がもたらしたものだとされています。私はこの時代の水際対策に興味があるのですが、各国はどのように国境で検疫を行い、人やモノの移動を制限したのでしょうか。
先生:1851年の国際衛生会議では、検疫の実施をめぐって大きく対立しました。例えば、( ア )は、( イ )ということを理由に、検疫に反対しました。
丸島:検疫実施に反対したことには、( ア )が穀物法を廃止したことにも通じる考え方があったのですね。
先生:そのとおりです。その後、第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発までの時期には、政治的対立を乗り越えて、国際保健協力を発展させる動きも見られました。例えばこの時期、( ウ )にもかかわらず、国際保健の面では協力がなされたというような事例が挙げられます。
丸島:なるほど、疫病流行は国を越えて起こるものだからこそ、対立を乗り越えて国際協力を実現することが重要だという認識が、こうして生まれたのですね。

丸島さんは下線部bについてさらに探究するため、後日、「維新史料綱要データベース」などを用いて、ミシシッピ号の寄港地と各地の流行時期を調べ、地図を作成した。地図から考えられる事柄をまとめたメモ1・2の正誤について述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

メモ1
関東地方でのコレラ流行が近畿地方・中国地方より早いのは、下田から感染が広がったからだと考えられる。

メモ2
近畿地方・中部地方のコレラ流行拡大の起点となったのは、流行時期から見て、京都であったと考えられる。
問題文の画像
  • メモ1のみ正しい。
  • メモ2のみ正しい。
  • 二つとも正しい。
  • 二つとも誤っている。

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