大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問43 (歴史総合,日本史探究(第2問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問43(歴史総合,日本史探究(第2問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

ケイさんとマナさんは、日本史探究の授業で、菓子に着目して探究活動を行うことにした。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

マナ:ところで、私たちは菓子と言えばスイーツをイメージするけど、調べてみると「菓子」という言葉は古代では果物を指しているね。砂糖は、奈良時代には中国から伝わっていたけど、甘味料ではなく薬として扱われていたんだって。
ケイ:古代に幅広く用いられた甘味料は、ツタの樹液を加工した甘葛(あまずら)というもので、それで甘味をつけた芋粥(いもがゆ)といったスイーツもあるね。
マナ:芋粥を満足するまで食べてみたかった五位の侍が登場する平安時代の話が有名だね。b平安時代の貴族は、どんなスイーツを食べていたのかな。歴史のロマンだなあ。
ケイ:この甘葛が甘味料に使われていたのは室町時代までだって。砂糖はいつから菓子に使われるのだろう?
マナ:中世の禅宗寺院では、砂糖饅頭(まんじゅう)や砂糖羊羹(ようかん)が間食として食べられ始めていたよ。その砂糖は中国から輸入されたものだったらしい。c中世の禅宗寺院で砂糖を用いた菓子が普及し始めた背景にはどんなことがあったのだろう?
ケイ:菓子の普及について、いろいろ調べないといけないね。

下線部bに関して述べた文として適当でないものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 唐で学んだ僧侶が開いた新しい仏教は、加持祈祷によって災いを避けるなどの現世利益を説く側面があり、貴族の間で広まった。
  • 貴族の多くは、違い棚や付書院などを備え、ふすまや明障子などで間仕切りされた、のちの和風住宅の基となる邸宅に居住していた。
  • 貴族社会では漢詩文や和歌に関する教養が重視されており、天皇の命によるものとしては、漢詩集が和歌集に先立ち編集された。
  • 貴族が日記を書き記した理由の一つは、儀式に関する知識や経験を子孫に伝えるためであった。

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