大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問44 (歴史総合,日本史探究(第2問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問44(歴史総合,日本史探究(第2問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

ケイさんとマナさんは、日本史探究の授業で、菓子に着目して探究活動を行うことにした。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

マナ:ところで、私たちは菓子と言えばスイーツをイメージするけど、調べてみると「菓子」という言葉は古代では果物を指しているね。砂糖は、奈良時代には中国から伝わっていたけど、甘味料ではなく薬として扱われていたんだって。
ケイ:古代に幅広く用いられた甘味料は、ツタの樹液を加工した甘葛(あまずら)というもので、それで甘味をつけた芋粥(いもがゆ)といったスイーツもあるね。
マナ:芋粥を満足するまで食べてみたかった五位の侍が登場する平安時代の話が有名だね。b平安時代の貴族は、どんなスイーツを食べていたのかな。歴史のロマンだなあ。
ケイ:この甘葛が甘味料に使われていたのは室町時代までだって。砂糖はいつから菓子に使われるのだろう?
マナ:中世の禅宗寺院では、砂糖饅頭(まんじゅう)や砂糖羊羹(ようかん)が間食として食べられ始めていたよ。その砂糖は中国から輸入されたものだったらしい。c中世の禅宗寺院で砂糖を用いた菓子が普及し始めた背景にはどんなことがあったのだろう?
ケイ:菓子の普及について、いろいろ調べないといけないね。

下線部cに関して述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 中国との貿易のため、長崎の一区画に唐人屋敷を設けて中国商人の居住を制限した。
  • 中国との貿易を円滑にするために、大輪田泊を修築して貿易船を畿内まで招き入れた。
  • 苦難の末に中国から渡来した高僧が、日本に初めて戒律を伝えた。
  • 五山の僧は、外交文書の作成などを担い、中国との外交に携わっていた。

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この過去問の解説 (1件)

01

下線部cは、「なぜ禅宗寺院で砂糖菓子が広まったのか」という背景を問うています。

 

ポイントは、

・中世の禅宗寺院、とくに五山が中国文化と強く結びついていたこと

・僧が外交や文書作成などを担い、中国との交流が活発だったこと
です。

 

時代を見分けるコツとしては、

・唐人屋敷=江戸時代の長崎

・鑑真=奈良時代

・五山僧=中世(特に室町)で対外関係にも関与
のように、出来事を「いつの話か」で整理すると判断しやすくなります。

選択肢1. 中国との貿易のため、長崎の一区画に唐人屋敷を設けて中国商人の居住を制限した。

唐人屋敷は、主に江戸時代の長崎での制度です。
問題は「中世の禅宗寺院」が舞台なので、時代が合いません。

選択肢2. 中国との貿易を円滑にするために、大輪田泊を修築して貿易船を畿内まで招き入れた。

大輪田泊(おおわだのとまり)の修築は、主に平清盛の時代の話として知られています。
これは中世の対外交流に関わる出来事ではありますが、問いは「禅宗寺院で砂糖を用いた菓子が普及し始めた背景」です。

禅宗寺院の役割(僧が外交・文書などに関わること)を直接説明している選択肢の方が、背景としてより結びつきます。

選択肢3. 苦難の末に中国から渡来した高僧が、日本に初めて戒律を伝えた。

これは鑑真(がんじん)のことを指す内容で、奈良時代の出来事です。
禅宗寺院が発展する中世(鎌倉〜室町)とは時代がずれますし、砂糖の輸入や菓子の広まりの説明にもつながりにくいです。

選択肢4. 五山の僧は、外交文書の作成などを担い、中国との外交に携わっていた。

正解です。

中世、とくに室町時代には、禅宗寺院(五山)が文化や学問の中心になり、僧が外交文書の作成など実務にも関わりました。
こうした中国とのつながりの中で、中国からの品(砂糖など)が入ってきやすくなり、寺院で砂糖を使う菓子が普及し始めた、という流れを説明できます。

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