大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問46 (歴史総合,日本史探究(第3問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問46(歴史総合,日本史探究(第3問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史クラブのサクラさんとタケシさんは、外交と文化の関わりに興味を持ち、大宰府跡などの遺跡や近くの博物館を見学し、そこで学んだ内容をワークシートにまとめた。二人が作成したワークシートを読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

ワークシート
■遺跡見学まとめ
・大宰府は、博多湾に面した古代の港にも近く、政庁など多くの建物があった。実際に歩いてみて、役所としての重要性を感じることができた。

■博物館展示解説まとめ
a3世紀までには中国大陸や朝鮮半島から様々なものが九州北部にもたらされたことが分かった。大宰府よりも前の時代のことであるが、参考になる。
・大宰府の職務としてb外交使節の往来への対応もあった。
・日本は渤海使に対しても大宰府に来るように求めたが、実際には守られていなかった。

■新たな気付きや課題
・さらに調べていくとc渤海のことを「高麗」と記した資料も見つかり、渤海以前の王朝である高句麗も「高麗」と書かれることがあると分かった。
d大宰府の重要性は外交面に限られるのかを調べる必要がある。
e遣唐使が派遣されなくなって以降の外交のあり方とその影響はどのようなものだろうか。

下線部aに関して、九州北部の各地から見つかった遺物のうち、3世紀までに中国大陸や朝鮮半島からもたらされた可能性がないものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 楽浪郡で作られた土器
  • 「漢委奴国王」と刻まれた金印
  • 前漢で作られた貨幣
  • 新羅で作られた馬具

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は、「3世紀まで」という時代の感覚をつかむのがポイントです。

 

・3世紀までの交流で入ってきやすいもの:

金印・貨幣・土器のような小さく運びやすい物

 

・後の時代に広がりやすいもの:

社会のしくみや軍事・交通の発達と結びつく馬具

選択肢1. 楽浪郡で作られた土器

楽浪郡は朝鮮半島に置かれた中国の郡で、そこで作られた物が海を渡って日本に来る可能性があります。
九州北部は大陸との往来が多かった地域なので、3世紀までに入ってきても不自然ではありません。

選択肢2. 「漢委奴国王」と刻まれた金印

これは、1世紀ごろに中国(漢)から倭の王に与えられたとされる有名な金印です。
年代的に3世紀より前なので、「3世紀までに大陸からもたらされた可能性がない」とは言えません。

選択肢3. 前漢で作られた貨幣

前漢は紀元前の時代から続く中国の王朝で、貨幣は広く流通しました。
交易や贈り物などで日本に入ってくることは十分考えられるため、3世紀までに届いていてもおかしくありません。

選択肢4. 新羅で作られた馬具

馬具(くつわ・鐙など、馬に付ける道具)が日本で広く見られるようになるのは、主に5世紀ごろ以降です。
3世紀の段階では、馬や馬具が日本に本格的に広がったとは言いにくく、新羅製の馬具が3世紀までに九州北部にもたらされたと考えるのは難しいです。

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