大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問47 (歴史総合,日本史探究(第3問) 問2)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問47(歴史総合,日本史探究(第3問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史クラブのサクラさんとタケシさんは、外交と文化の関わりに興味を持ち、大宰府跡などの遺跡や近くの博物館を見学し、そこで学んだ内容をワークシートにまとめた。二人が作成したワークシートを読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

ワークシート
■遺跡見学まとめ
・大宰府は、博多湾に面した古代の港にも近く、政庁など多くの建物があった。実際に歩いてみて、役所としての重要性を感じることができた。

■博物館展示解説まとめ
a3世紀までには中国大陸や朝鮮半島から様々なものが九州北部にもたらされたことが分かった。大宰府よりも前の時代のことであるが、参考になる。
・大宰府の職務としてb外交使節の往来への対応もあった。
・日本は渤海使に対しても大宰府に来るように求めたが、実際には守られていなかった。

■新たな気付きや課題
・さらに調べていくとc渤海のことを「高麗」と記した資料も見つかり、渤海以前の王朝である高句麗も「高麗」と書かれることがあると分かった。
d大宰府の重要性は外交面に限られるのかを調べる必要がある。
e遣唐使が派遣されなくなって以降の外交のあり方とその影響はどのようなものだろうか。

下線部bに関連して、唐や朝鮮半島の王朝との関係や、人々の交流について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 日本は唐から冊封を受け、定期的に唐に使節を送った。
  • 日本は8世紀を通して新羅とは対等な外交関係を望んでいた。
  • 唐への留学経験がある吉備真備と玄昉は、橘諸兄政権下で活躍した。
  • 日本と新羅との関係が悪化したことから、9世紀には新羅商船も来航しなくなった。

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この過去問の解説 (1件)

01

下線部bのポイントは、大宰府が「外国の使節が来たときの窓口」になり、外交の現場を支えたことです。
そのため、選択肢も「外交」「人の交流」「文化の伝わり方」に結びつく内容が適しています。

・唐との交流は、使節だけでなく留学生・僧も含みます。

・帰国した人が国内で活躍することで、外交が文化や政治の変化につながります。

選択肢1. 日本は唐から冊封を受け、定期的に唐に使節を送った。

日本は唐に遣唐使を送っていますが、これは学問・制度・文化などを学ぶ目的が大きいです。
一方で、唐の皇帝から「臣下として認めてもらう」ような形の冊封を受けて、その立場で定期的に使節を送った、という言い方は合いません。

日本は基本的に唐と対等に近い立場を意識していました。

選択肢2. 日本は8世紀を通して新羅とは対等な外交関係を望んでいた。

8世紀の日本と新羅の関係は、時期によって揺れがあります。
「8世紀を通してずっと対等を望んでいた」と言い切るのは大ざっぱで、外交の実態をうまく表せていません。

選択肢3. 唐への留学経験がある吉備真備と玄昉は、橘諸兄政権下で活躍した。

正解です。

吉備真備玄昉は唐に渡って学び、帰国後に朝廷で力を発揮しました。
橘諸兄が中心となった時期に、学んできた知識や経験を生かして政治・文化の面で活躍しています。
唐との交流が、人材の育成や国内の政治・文化に影響した例として分かりやすく、下線部b(外交と人の往来)にもつながります。

選択肢4. 日本と新羅との関係が悪化したことから、9世紀には新羅商船も来航しなくなった。

関係がうまくいかない時期があったとしても、9世紀に「新羅商船が来なくなった」と言い切るのは合いません。
むしろ、朝廷の公式な外交とは別に、海を通じた商業の往来が続く面もありました。

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