大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問48 (歴史総合,日本史探究(第3問) 問3)
問題文
ワークシート
■遺跡見学まとめ
・大宰府は、博多湾に面した古代の港にも近く、政庁など多くの建物があった。実際に歩いてみて、役所としての重要性を感じることができた。
■博物館展示解説まとめ
・a3世紀までには中国大陸や朝鮮半島から様々なものが九州北部にもたらされたことが分かった。大宰府よりも前の時代のことであるが、参考になる。
・大宰府の職務としてb外交使節の往来への対応もあった。
・日本は渤海使に対しても大宰府に来るように求めたが、実際には守られていなかった。
■新たな気付きや課題
・さらに調べていくとc渤海のことを「高麗」と記した資料も見つかり、渤海以前の王朝である高句麗も「高麗」と書かれることがあると分かった。
・d大宰府の重要性は外交面に限られるのかを調べる必要がある。
・e遣唐使が派遣されなくなって以降の外交のあり方とその影響はどのようなものだろうか。
下線部cに関連して、渤海を「高麗」と記す資料があることに関心を持った二人は、「高麗」という記述がある資料を集めた。資料1~4のうち、渤海のことを「高麗」と記す資料として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料1
天皇が右大臣に大宰府の文書と高麗国の外交文書を示した。公卿たちが議論した結果は、「返事をしてはならない。また、要害を警固し、祈祷を行う。」ということだ。ただしこの外交文書は高麗のものではないようだ。もしかすると宋の謀略か。
資料2
高麗の使者の外交文書には、「高麗国王の大欽茂(だいきんも)が申し上げます。日本では聖武天皇が亡くなったとお聞きしました。そこで使者を遣わして、上表文と恒例の貢物を持たせて入朝させます。」とあった。
資料3
高麗の使者は、「隋の煬帝は、三十万の軍を送ってわが国を攻めましたが、逆にわが軍によって破られました。その時の捕虜や武器、国の産物などをたてまつります。」と述べた。
資料4
難波薬師(なにわのくすし)奈良らは、「私たちの先祖である徳来(とくらい)はもと高麗人でしたが、百済国の人となりました。昔、雄略天皇が百済に技術者を求めた際、徳来を日本におくりました。」と述べた。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問48(歴史総合,日本史探究(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
ワークシート
■遺跡見学まとめ
・大宰府は、博多湾に面した古代の港にも近く、政庁など多くの建物があった。実際に歩いてみて、役所としての重要性を感じることができた。
■博物館展示解説まとめ
・a3世紀までには中国大陸や朝鮮半島から様々なものが九州北部にもたらされたことが分かった。大宰府よりも前の時代のことであるが、参考になる。
・大宰府の職務としてb外交使節の往来への対応もあった。
・日本は渤海使に対しても大宰府に来るように求めたが、実際には守られていなかった。
■新たな気付きや課題
・さらに調べていくとc渤海のことを「高麗」と記した資料も見つかり、渤海以前の王朝である高句麗も「高麗」と書かれることがあると分かった。
・d大宰府の重要性は外交面に限られるのかを調べる必要がある。
・e遣唐使が派遣されなくなって以降の外交のあり方とその影響はどのようなものだろうか。
下線部cに関連して、渤海を「高麗」と記す資料があることに関心を持った二人は、「高麗」という記述がある資料を集めた。資料1~4のうち、渤海のことを「高麗」と記す資料として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料1
天皇が右大臣に大宰府の文書と高麗国の外交文書を示した。公卿たちが議論した結果は、「返事をしてはならない。また、要害を警固し、祈祷を行う。」ということだ。ただしこの外交文書は高麗のものではないようだ。もしかすると宋の謀略か。
資料2
高麗の使者の外交文書には、「高麗国王の大欽茂(だいきんも)が申し上げます。日本では聖武天皇が亡くなったとお聞きしました。そこで使者を遣わして、上表文と恒例の貢物を持たせて入朝させます。」とあった。
資料3
高麗の使者は、「隋の煬帝は、三十万の軍を送ってわが国を攻めましたが、逆にわが軍によって破られました。その時の捕虜や武器、国の産物などをたてまつります。」と述べた。
資料4
難波薬師(なにわのくすし)奈良らは、「私たちの先祖である徳来(とくらい)はもと高麗人でしたが、百済国の人となりました。昔、雄略天皇が百済に技術者を求めた際、徳来を日本におくりました。」と述べた。
- 資料1
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この過去問の解説 (1件)
01
この問題のコツは、「高麗」と書かれていても、それが渤海を指すのか/高句麗を指すのかを見分けることです。
見分け方としては、本文に出てくる固有名詞が重要で、資料2のように渤海の王名(大欽茂)が出てくれば、「渤海を高麗と記した例」と判断しやすくなります。
「高麗国の外交文書」とありますが、本文で「この外交文書は高麗のものではないようだ」「宋の謀略か」と疑っています。
つまり、そもそも高麗(や渤海)の文書だと断定できない内容で、渤海を高麗と書いた例としては弱いです。
正解です。
「高麗国王の大欽茂が申し上げます」とあります。
この大欽茂は、渤海の王(渤海王)として知られる人物です。
つまり、渤海の王が出てくるのに国名を「高麗」と書いているので、「渤海を高麗と記す資料」に最も当てはまります。
「隋の煬帝が三十万の軍で攻めたが破った」という話は、時代や内容から高句麗(こうくり)の対隋戦争を思わせます。
この場合は、高句麗を「高麗」と書いている可能性が高く、渤海を指しているとは言いにくいです。
「先祖はもと高麗人」「百済国の人となりました」という話で、これは人の出自(ルーツ)の説明です。
渤海の王名などの手がかりがなく、渤海を高麗と書いた例としては決め手に欠けます。
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