大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問49 (歴史総合,日本史探究(第3問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問49(歴史総合,日本史探究(第3問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史クラブのサクラさんとタケシさんは、外交と文化の関わりに興味を持ち、大宰府跡などの遺跡や近くの博物館を見学し、そこで学んだ内容をワークシートにまとめた。二人が作成したワークシートを読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

ワークシート
■遺跡見学まとめ
・大宰府は、博多湾に面した古代の港にも近く、政庁など多くの建物があった。実際に歩いてみて、役所としての重要性を感じることができた。

■博物館展示解説まとめ
a3世紀までには中国大陸や朝鮮半島から様々なものが九州北部にもたらされたことが分かった。大宰府よりも前の時代のことであるが、参考になる。
・大宰府の職務としてb外交使節の往来への対応もあった。
・日本は渤海使に対しても大宰府に来るように求めたが、実際には守られていなかった。

■新たな気付きや課題
・さらに調べていくとc渤海のことを「高麗」と記した資料も見つかり、渤海以前の王朝である高句麗も「高麗」と書かれることがあると分かった。
d大宰府の重要性は外交面に限られるのかを調べる必要がある。
e遣唐使が派遣されなくなって以降の外交のあり方とその影響はどのようなものだろうか。

下線部dに関連して、二人は大宰府がある九州北部は軍事上重要であったのではないかと考えた。九州北部の軍事的な重要性に関して述べた文あ・いについて、その正誤の組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

あ  8世紀末に兵制改革が行われ、軍団と兵士が廃止されたが、九州は廃止の対象外となった。
い  11世紀前半に沿海州の女真族が九州北部を襲撃したが、大宰府の役人であった藤原隆家により撃退された。
  • あ ― 正  い ― 正
  • あ ― 正  い ― 誤
  • あ ― 誤  い ― 正
  • あ ― 誤  い ― 誤

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この過去問の解説 (2件)

01

文あ

792年に軍団・兵士の仕組みが大きく見直され、陸奥・出羽・佐渡・九州(西海道)などを除いて廃止されました。

九州は対外防衛の必要が高く、対象外とされたため文の内容と合います。

 

文い

1019年の刀伊の入寇では、対馬・壱岐・九州北部が襲撃され、大宰府で藤原隆家が対応を指揮したことが知られます。

文の内容と合います。

選択肢1. あ ― 正  い ― 正

正解です。

まとめ

九州北部(大宰府周辺)が軍事的に重要だったことは、次の2点から読み取れます。

・8世紀末の兵制改革でも、九州は対外防衛の前線として軍事体制の見直しから外されやすかったこと。

・11世紀に実際の外敵来襲(刀伊の入寇)が起き、大宰府の役人である藤原隆家が防衛を指揮したこと。

 

つまり大宰府は、外交の窓口であるだけでなく、外からの危機に備える拠点としても大きな役割を持っていたと考えられます。

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02

桓武天皇は軍団と兵士を廃止にしました。その中で対象外の国を覚えるのは大変だと思いますが、問題文中に太宰府、九州北部の軍事上重要であることが度々記載されていることから九州は廃止の対象外となったことが考えられます。

女真族が九州北部を襲撃しましたが当時勢力を持った藤原家である藤原隆家が撃退し、これにより隆家は称賛を受けました。

選択肢1. あ ― 正  い ― 正

文章は両方正しいです。

まとめ

桓武天皇が軍団と兵士を廃止することにより、源氏や平氏といった武士が台頭してくるという歴史の流れも抑えておきましょう。

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