大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)本試験
問60 (歴史総合,日本史探究(第5問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)本試験 問60(歴史総合,日本史探究(第5問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

日本史探究の授業で、田中さんは「近世の村」について考察した。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

田中さんは、幕府領の村々の石高と年貢高の推移を示すグラフを用意し、それを読み取って調べたこと・考えたことをメモ2にまとめた。

メモ2
・幕府領の石高は1665年から1745年にかけて増加するが、それ以降は横ばいか、やや減少する。
d幕府は村や百姓を維持するための諸政策を実施することによって、石高や年貢高の減少を防ごうとした。
・そうした中でe1785年頃に石高・年貢高が一時的に減少しているのはなぜだろうか?

田中さんは、考察内容を踏まえてまとめることにした。近世の村に関して述べた文として適当でないものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
問題文の画像
  • 村の運営は耕地を持つ住民が担い手となり、耕地を持たない住民の参加は制限されていた。
  • 村の生活は村内部で完結しておらず、他村と日常的に関わりがあり、災害時には他村からの協力・扶助がなされることもあった。
  • グラフによると、幕府領の石高と年貢高の変化は連動しており、これは年貢率が17世紀後半から19世紀初頭まで固定されていたからである。
  • グラフで17世紀から18世紀半ばにかけて幕府領の石高が増加している一因として、新田開発によって耕地面積が拡大したことが挙げられる。

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は、「近世の村の実態」と「グラフの読み取り方」を結びつけるのがポイントです。

・村の運営は、基本的に土地を持つ百姓が中心になりやすいです。

・村は外部とつながり、災害時には他村の協力が起こることもあります。

・石高と年貢高が似た動きをしても、それを「年貢率がずっと固定だった」と断定するのは危険です。年貢は石高を基準にしつつも、災害・荒廃・減免などで変動し得るからです。

選択肢1. 村の運営は耕地を持つ住民が担い手となり、耕地を持たない住民の参加は制限されていた。

近世の村では、年貢を負担し村の仕事(寄合・用水管理・五人組など)を担う中心は、土地を持つ百姓(本百姓)でした。
土地を持たない人は、村の決めごとに直接参加しにくい立場になりやすく、この内容は村の運営の実態と合います。

選択肢2. 村の生活は村内部で完結しておらず、他村と日常的に関わりがあり、災害時には他村からの協力・扶助がなされることもあった。

近世の村は、買い物や奉公、出稼ぎ、婚姻などで他村や町とつながっていました。
また、大きな災害のときに周辺から助けが入ることもあり、村の外との関わりがあるという見方は自然です。

選択肢3. グラフによると、幕府領の石高と年貢高の変化は連動しており、これは年貢率が17世紀後半から19世紀初頭まで固定されていたからである。

正解(適当でない文)です。

年貢は基本的に石高(村高)を基準に決まるので、石高と年貢高がある程度連動するのは不思議ではありません。
ただし、年貢率は、凶作・災害による減免、村の荒廃への対策、検地や見直しなどで変わり得ます。「17世紀後半から19世紀初頭まで固定」と断定するのは成り立ちにくいです。

選択肢4. グラフで17世紀から18世紀半ばにかけて幕府領の石高が増加している一因として、新田開発によって耕地面積が拡大したことが挙げられる。

17世紀から18世紀にかけては、新田開発などで耕地が増え、村高が伸びることがあります。
石高が増える理由として、新田開発を挙げるのは流れとして合います。

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