大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)追・再試験
問4 (歴史総合,世界史探究(第1問) 問4)
問題文
20世紀前半の日本における博覧会について、2班の生徒が先生と話をしている。
三井:明治時代には、5回の内国勧業博覧会が開かれました。それは富国強兵・殖産興業という目標を体現するものでした。
湯川:大正時代になると、当時の東京府が1922年に上野公園で平和記念東京博覧会を開催しました。
三井:なぜ平和記念という名前が付いているのでしょうか。
湯川:第一次世界大戦の教訓を踏まえ、平和記念というタイトルが付けられたのではないでしょうか。このような時代の風潮は( ウ )という1920年代の国際情勢にも表れています。
先生:その後も昭和初期まで様々なテーマの博覧会が開催されましたが、朝鮮、台湾のほか、(b)満洲でも大規模な博覧会が開催されました。
三井:1930年代の博覧会は、日本初の万国博覧会開催に向けた予行演習であるとも意識されていました。1940年に予定されていた万国博覧会は、神武天皇が即位したとされる年から2600年の記念事業として計画され、同時に東洋初のオリンピック開催も計画されていましたが、日中戦争の影響により、(c)それらは延期や中止を余儀なくされました。
先生:そのとおりですね。では、そのことについて、当時の状況をもう少し詳しく調べてみましょう。
下線部(b)の地域において20世紀前半に起こった出来事Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
Ⅰ 満洲の軍閥指導者が、本拠地の奉天近郊で殺害された。
Ⅱ 鉄道爆破事件に関して、国際連盟の調査団が派遣された。
Ⅲ 旅順・大連の租借権が、ロシアから日本へ移った。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)追・再試験 問4(歴史総合,世界史探究(第1問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
20世紀前半の日本における博覧会について、2班の生徒が先生と話をしている。
三井:明治時代には、5回の内国勧業博覧会が開かれました。それは富国強兵・殖産興業という目標を体現するものでした。
湯川:大正時代になると、当時の東京府が1922年に上野公園で平和記念東京博覧会を開催しました。
三井:なぜ平和記念という名前が付いているのでしょうか。
湯川:第一次世界大戦の教訓を踏まえ、平和記念というタイトルが付けられたのではないでしょうか。このような時代の風潮は( ウ )という1920年代の国際情勢にも表れています。
先生:その後も昭和初期まで様々なテーマの博覧会が開催されましたが、朝鮮、台湾のほか、(b)満洲でも大規模な博覧会が開催されました。
三井:1930年代の博覧会は、日本初の万国博覧会開催に向けた予行演習であるとも意識されていました。1940年に予定されていた万国博覧会は、神武天皇が即位したとされる年から2600年の記念事業として計画され、同時に東洋初のオリンピック開催も計画されていましたが、日中戦争の影響により、(c)それらは延期や中止を余儀なくされました。
先生:そのとおりですね。では、そのことについて、当時の状況をもう少し詳しく調べてみましょう。
下線部(b)の地域において20世紀前半に起こった出来事Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
Ⅰ 満洲の軍閥指導者が、本拠地の奉天近郊で殺害された。
Ⅱ 鉄道爆破事件に関して、国際連盟の調査団が派遣された。
Ⅲ 旅順・大連の租借権が、ロシアから日本へ移った。
- Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ
- Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ
- Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ
- Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ
- Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ
- Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ
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