大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)追・再試験
問5 (歴史総合,世界史探究(第1問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)追・再試験 問5(歴史総合,世界史探究(第1問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史総合の授業で、「国際イベントとその影響」という主題を設定し、「各イベントが、近現代の歴史の大きな変化の中で、どのような役割を果たしたのか」という問いを立てて各班で調べ、発表に向けた準備をしている。これらの活動に関連した次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

20世紀前半の日本における博覧会について、2班の生徒が先生と話をしている。

三井:明治時代には、5回の内国勧業博覧会が開かれました。それは富国強兵・殖産興業という目標を体現するものでした。
湯川:大正時代になると、当時の東京府が1922年に上野公園で平和記念東京博覧会を開催しました。
三井:なぜ平和記念という名前が付いているのでしょうか。
湯川:第一次世界大戦の教訓を踏まえ、平和記念というタイトルが付けられたのではないでしょうか。このような時代の風潮は( ウ )という1920年代の国際情勢にも表れています。
先生:その後も昭和初期まで様々なテーマの博覧会が開催されましたが、朝鮮、台湾のほか、(b)満洲でも大規模な博覧会が開催されました。
三井:1930年代の博覧会は、日本初の万国博覧会開催に向けた予行演習であるとも意識されていました。1940年に予定されていた万国博覧会は、神武天皇が即位したとされる年から2600年の記念事業として計画され、同時に東洋初のオリンピック開催も計画されていましたが、日中戦争の影響により、(c)それらは延期や中止を余儀なくされました。
先生:そのとおりですね。では、そのことについて、当時の状況をもう少し詳しく調べてみましょう。

下線部(c)に関連して、三井さんは当時の新聞記事を検索し、万国博覧会(万博)の延期をめぐる海外の反響を紹介した記事(資料2)を見つけた。前の会話文を参考にしつつ、資料2から読み取れる事柄や、その背景に関して述べた文あ~えについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

資料2
万博の延期問題については、外務省でも諸外国に対する影響を重視し、かねてより注目していたが、14日朝、同省へ在外各大使・公使から電報が届いた。それらによると、南米諸国と北欧諸国は、いずれも万博の開催中止または延期に反対し、もし日本が従来の準備や海外宣伝を一切無視して、予定の1940年に不開催の場合は、かえって中国側の逆宣伝に利用されるとして、開催することを主張している。
これに対して、英、米、独、仏、伊諸国は、事変下の非常時であるため、各種施設が出来上がらない今のうちに延期を決定するならば、万博に参加を招請された諸外国も事情を了解するだろうから、日本の不利益になるような問題は起きないはずだと主張している。
(『東京朝日新聞』1938年月15日夕刊)

あ  延期に反対する国々は、この時点で日中戦争が始まっており、延期は日本の不利益になると考えていた。
い  延期に同意する国々は、この時点で第二次世界大戦が開戦していたため、延期は日本の不利益にならないと考えていた。
う  万博の開催準備は終わっていたが、戦争の影響によって延期された。
え  日本の外務省は、延期が外交問題になることを懸念していた。
  • あ・う
  • あ・え
  • い・う
  • い・え

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