共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)本試験
問3 (歴史総合,世界史探究(第1問) 問3)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)本試験 問3(歴史総合,世界史探究(第1問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史総合の授業で、「近現代における都市の変容」という主題について班別学習をした。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

本田さんとマルタンさんの班は、近現代における大都市の変容について考察するために、パリと東京に着目した。
本田さんは、江戸・東京における都市構造の変化について、パネル1にまとめた。その内容として誤っているものを、パネル1中の下線部①~④のうちから一つ選べ。

パネル1
・江戸の状況:江戸では、居住区域が身分ごとに分けられ、人口は18世紀に100万人を超えていた。その日常生活を支えるために、① 物資が西廻り航路や東廻り航路(海運)により各地から江戸に運ばれていた。
・旧町人地での文明開化:江戸から東京に改称された② 明治初期には、銀座に煉瓦(れんが)街が建設され、文明開化のシンボルとなったが、そうした動向は、旧町人地の中でもごく一部の地域に限られた。
・旧武家地での都市計画:③ 政府は欧米諸国との条約改正を実現するため、欧化政策の一環として鹿鳴館を建設した。また市区改正という都市計画事業で道路が整備され、旧武家地の都市化が進んだ。
・郊外の宅地化:旧町人地の大半では、木造家屋が建ち並ぶ伝統的な商業街や、私的な居住空間が維持されたが、④ 日露戦争までに、郊外に文化住宅が建てられ、和風・洋風両方の生活様式が取り入れられた。
考察:パリと東京それぞれで近代化が進み、都市構造も変容した。
  • ①
  • ②
  • ③
  • ④

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この過去問の解説 (2件)

01

適当でないのは、④です。

 

この問題では、江戸から東京へ変化する中で、都市のどの部分が、いつ変化したのかを整理することがポイントです。

選択肢1. ①

江戸時代には、東廻り航路・西廻り航路が整備され、日本各地が海上交通で結ばれました。

船は大量の物資を一度に運ぶことができ、年貢米をはじめとする各地の物資の流通に重要な役割を果たしました。

人口の多い江戸の生活を支えるうえでも、水運は欠かせないものでした。

選択肢2. ②

明治5年(1872年)の銀座大火をきっかけに、銀座では西洋風の煉瓦街が建設されました。

銀座煉瓦街は、東京の西洋化・近代化を象徴する街並みとなりました。

しかし、旧江戸の町人地すべてがすぐに煉瓦造りや西洋風の街並みに変わったわけではありません。

選択肢3. ③

明治政府は、不平等条約の改正を進めるため、日本が欧米と同じような近代国家であることを示そうとして欧化政策を進めました。

その象徴が鹿鳴館です。

また、明治政府は東京で市区改正を進め、道路・鉄道・河川・橋などを含む都市改造を計画しました。

1888年には東京市区改正条例も公布されています。

選択肢4. ④

誤りです。

日露戦争は1904~1905年ですが、文化住宅は主に大正時代から昭和初期に広まった住宅です。

資料にも「大正・昭和初期の文化住宅」として扱われています。

また、東京では大正期になると人口増加と交通網の発達によって郊外住宅地の形成が進み、1923年の関東大震災後には郊外への移住がさらに進みました。

したがって、文化住宅の広がりを「日露戦争までに」とするのは時期が早すぎます。

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02

江戸・東京における都市構造の変化についての問題です。誤っているものを選びます。

選択肢1. ①

正しい文章です。西廻り航路は酒田から日本海を西下して下関から大坂や江戸へ向かう航路、東廻り航路は酒田から津軽海峡を経由して江戸へ向かう航路です。

選択肢2. ②

正しい文章です。煉瓦街は、1873年に完成しました。

選択肢3. ③

正しい文章です。鹿鳴館は、1883年に完成しました。

選択肢4. ④

文化住宅は、大正時代以降に多く建てられました。日露戦争までにではないので、この文章は誤りです。

選択肢としては正解です。

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