共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問2 (歴史総合,世界史探究(第1問) 問2)
問題文
歴史総合の授業で、生徒たちが「人々にとっての様々な戦争経験」という主題を設定し、調べたことをまとめた。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
最初の授業では、「近代における軍隊と人々との関係はどのようなものだったのか」という問いを立て、考察した結果を話し合っている。
北野:フランスでは、フランス革命の際に、徴兵制が導入されました。その後、徴兵制は、プロイセンとの戦争などをきっかけとするナショナリズムの高まりの中で、第三共和政の時代に、数回の法改正を経て、確立していきました。
カーン:プロイセンでは、首相( ア )が、1867年に徴兵制を整備しました。この徴兵制は、1871年に、ドイツ帝国全体に拡大され、確立していきました。以上から、フランスとドイツの徴兵制が、( イ )ことが分かります。
趙:日本では、西南戦争において、徴兵制に基づく政府軍が編成されました。ただし、士族を徴集するかどうかをめぐって、政府内で論争がありました。資料1・2は、これについての岩倉具視と木戸孝允の意見です。結局、士族が臨時に徴集され、9,500人が派遣されました。
北野:このように、近代における軍隊と人々は、徴兵制を通じて、深く関係していました。また、各国はその軍隊を用いて、植民地獲得や利権確保に乗り出しました。
上記の会話文を参考にしつつ、資料1・2から読み取れる事柄や、その背景に関して述べた文あ~えについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料1 岩倉具視の意見
にわかに士族を徴募すれば、兵制を破り、政府の信用にも関係する重大なことであるが、兵員不足となる場合にはやむを得ないことであるから、東京において、強壮な人員を徴集して、訓練して、出発させるのはどうであろうか。
資料2 木戸孝允の意見
今日、士族やそのほか無用の兵を募ることはできない。薩摩を討っても、また別の小薩摩のような存在を生み出してしまう。
あ 岩倉具視は、士族を徴募することで、兵員を増強することを提案した。
い 木戸孝允は、士族を徴募することが、外国勢力の侵略を招くと主張した。
う 西南戦争では、反乱軍の主力も、徴兵制に基づく軍隊であった。
え 日本の徴兵制は、四民平等の原則に基づくものであった。
最初の授業では、「近代における軍隊と人々との関係はどのようなものだったのか」という問いを立て、考察した結果を話し合っている。
北野:フランスでは、フランス革命の際に、徴兵制が導入されました。その後、徴兵制は、プロイセンとの戦争などをきっかけとするナショナリズムの高まりの中で、第三共和政の時代に、数回の法改正を経て、確立していきました。
カーン:プロイセンでは、首相( ア )が、1867年に徴兵制を整備しました。この徴兵制は、1871年に、ドイツ帝国全体に拡大され、確立していきました。以上から、フランスとドイツの徴兵制が、( イ )ことが分かります。
趙:日本では、西南戦争において、徴兵制に基づく政府軍が編成されました。ただし、士族を徴集するかどうかをめぐって、政府内で論争がありました。資料1・2は、これについての岩倉具視と木戸孝允の意見です。結局、士族が臨時に徴集され、9,500人が派遣されました。
北野:このように、近代における軍隊と人々は、徴兵制を通じて、深く関係していました。また、各国はその軍隊を用いて、植民地獲得や利権確保に乗り出しました。
上記の会話文を参考にしつつ、資料1・2から読み取れる事柄や、その背景に関して述べた文あ~えについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料1 岩倉具視の意見
にわかに士族を徴募すれば、兵制を破り、政府の信用にも関係する重大なことであるが、兵員不足となる場合にはやむを得ないことであるから、東京において、強壮な人員を徴集して、訓練して、出発させるのはどうであろうか。
資料2 木戸孝允の意見
今日、士族やそのほか無用の兵を募ることはできない。薩摩を討っても、また別の小薩摩のような存在を生み出してしまう。
あ 岩倉具視は、士族を徴募することで、兵員を増強することを提案した。
い 木戸孝允は、士族を徴募することが、外国勢力の侵略を招くと主張した。
う 西南戦争では、反乱軍の主力も、徴兵制に基づく軍隊であった。
え 日本の徴兵制は、四民平等の原則に基づくものであった。
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問題
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共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問2(歴史総合,世界史探究(第1問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
歴史総合の授業で、生徒たちが「人々にとっての様々な戦争経験」という主題を設定し、調べたことをまとめた。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
最初の授業では、「近代における軍隊と人々との関係はどのようなものだったのか」という問いを立て、考察した結果を話し合っている。
北野:フランスでは、フランス革命の際に、徴兵制が導入されました。その後、徴兵制は、プロイセンとの戦争などをきっかけとするナショナリズムの高まりの中で、第三共和政の時代に、数回の法改正を経て、確立していきました。
カーン:プロイセンでは、首相( ア )が、1867年に徴兵制を整備しました。この徴兵制は、1871年に、ドイツ帝国全体に拡大され、確立していきました。以上から、フランスとドイツの徴兵制が、( イ )ことが分かります。
趙:日本では、西南戦争において、徴兵制に基づく政府軍が編成されました。ただし、士族を徴集するかどうかをめぐって、政府内で論争がありました。資料1・2は、これについての岩倉具視と木戸孝允の意見です。結局、士族が臨時に徴集され、9,500人が派遣されました。
北野:このように、近代における軍隊と人々は、徴兵制を通じて、深く関係していました。また、各国はその軍隊を用いて、植民地獲得や利権確保に乗り出しました。
上記の会話文を参考にしつつ、資料1・2から読み取れる事柄や、その背景に関して述べた文あ~えについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料1 岩倉具視の意見
にわかに士族を徴募すれば、兵制を破り、政府の信用にも関係する重大なことであるが、兵員不足となる場合にはやむを得ないことであるから、東京において、強壮な人員を徴集して、訓練して、出発させるのはどうであろうか。
資料2 木戸孝允の意見
今日、士族やそのほか無用の兵を募ることはできない。薩摩を討っても、また別の小薩摩のような存在を生み出してしまう。
あ 岩倉具視は、士族を徴募することで、兵員を増強することを提案した。
い 木戸孝允は、士族を徴募することが、外国勢力の侵略を招くと主張した。
う 西南戦争では、反乱軍の主力も、徴兵制に基づく軍隊であった。
え 日本の徴兵制は、四民平等の原則に基づくものであった。
最初の授業では、「近代における軍隊と人々との関係はどのようなものだったのか」という問いを立て、考察した結果を話し合っている。
北野:フランスでは、フランス革命の際に、徴兵制が導入されました。その後、徴兵制は、プロイセンとの戦争などをきっかけとするナショナリズムの高まりの中で、第三共和政の時代に、数回の法改正を経て、確立していきました。
カーン:プロイセンでは、首相( ア )が、1867年に徴兵制を整備しました。この徴兵制は、1871年に、ドイツ帝国全体に拡大され、確立していきました。以上から、フランスとドイツの徴兵制が、( イ )ことが分かります。
趙:日本では、西南戦争において、徴兵制に基づく政府軍が編成されました。ただし、士族を徴集するかどうかをめぐって、政府内で論争がありました。資料1・2は、これについての岩倉具視と木戸孝允の意見です。結局、士族が臨時に徴集され、9,500人が派遣されました。
北野:このように、近代における軍隊と人々は、徴兵制を通じて、深く関係していました。また、各国はその軍隊を用いて、植民地獲得や利権確保に乗り出しました。
上記の会話文を参考にしつつ、資料1・2から読み取れる事柄や、その背景に関して述べた文あ~えについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料1 岩倉具視の意見
にわかに士族を徴募すれば、兵制を破り、政府の信用にも関係する重大なことであるが、兵員不足となる場合にはやむを得ないことであるから、東京において、強壮な人員を徴集して、訓練して、出発させるのはどうであろうか。
資料2 木戸孝允の意見
今日、士族やそのほか無用の兵を募ることはできない。薩摩を討っても、また別の小薩摩のような存在を生み出してしまう。
あ 岩倉具視は、士族を徴募することで、兵員を増強することを提案した。
い 木戸孝允は、士族を徴募することが、外国勢力の侵略を招くと主張した。
う 西南戦争では、反乱軍の主力も、徴兵制に基づく軍隊であった。
え 日本の徴兵制は、四民平等の原則に基づくものであった。
- あ・う
- あ・え
- い・う
- い・え
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この過去問の解説 (2件)
01
あ 岩倉具視は、士族を徴募することで、兵員を増強することを提案した。
正しい選択肢です。
士族を徴募することは、兵員不足となる場合にはやむを得ないという意見です。
い 木戸孝允は、士族を徴募することが、外国勢力の侵略を招くと主張した。
士族を徴募すれば、薩摩を討ってもまた別の小薩摩のような存在を生み出してしまうという意見です。
木戸孝允は国内の反乱勢力が無くならないことを危惧していて、外国勢力の侵略を招くとは主張していません。
この選択肢は誤りです。
う 西南戦争では、反乱軍の主力も、徴兵制に基づく軍隊であった。
反乱軍の主力は、鹿児島県の私学校生徒および不平士族です。
この選択肢は誤りです。
え 日本の徴兵制は、四民平等の原則に基づくものであった。
正しい選択肢です。
日本の徴兵制は、1873年に成立しました。
よって、正解は あ・え になります。
誤った選択肢です。
正しい選択肢です。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
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02
資料1では、岩倉具視が、兵員が不足した場合には士族を徴集して訓練し、戦地へ送ることを提案しています。そのため「あ」は正しいです。
また、明治政府の徴兵制は、身分にかかわらず国民が兵役を負うという考え方に基づいており、四民平等の原則と結び付いていました。
そのため「え」も正しいです。
正解です。
「あ」
これは正しい内容です。
資料1で岩倉具視は、士族を徴集することには問題があるとしながらも、兵員が不足する場合には、強壮な人員を集めて訓練し、戦地へ送ることを提案しています。
つまり、必要な場合には士族を徴募して、政府軍の兵力を増やそうと考えていました。
「い」
これは誤りです。
資料2で木戸孝允は、士族を集めて軍隊をつくると、薩摩を鎮圧しても、別の「小薩摩」のような武装勢力を生み出すおそれがあると考えています。
外国からの侵略を心配しているのではなく、国内に新たな武装勢力が生まれることを警戒していました。
「う」
これは誤りです。
西南戦争で政府軍の中心となったのは、徴兵制によって集められた兵士です。
一方、西郷隆盛側の反乱軍の中心は、旧薩摩藩の士族でした。
そのため、政府軍と反乱軍の両方が徴兵制に基づく軍隊だったわけではありません。
「え」
これは正しい内容です。
明治政府は、江戸時代までの身分制度を改め、四民平等を進めました。
それまで武士が中心だった軍事の役割についても、身分に関係なく国民が担う仕組みに変えていきました。1873年に徴兵令が出され、原則として一定年齢の男子が兵役を負うことになりました。
このため、徴兵制は身分にかかわらず国民が国家の軍事を担うという考え方と結び付いています。
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