大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)本試験
問51 (日本史B(第4問) 問2)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)本試験 問51(日本史B(第4問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、高校生のフミさんとサトさんが、近世の輸出入品と社会・経済との関係について話し合った際の会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

フミ:もともと室町時代には朝鮮などから( ア )が多く輸入されていたよね。でも、( ア )は江戸時代前期までに国産化が進んで、庶民も、それ以前のように( イ )を使った衣料から、次第に( ア )を使った衣料を着るようになっていったんだ。
サト:もっと高級な、中国産の生糸や絹織物も、戦国時代になると大量に輸入されたね。日本にやってくるようになったポルトガル船もおもにそれらを積んできたんだ。
フミ:a 江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止した時にも、ポルトガル船に代わってオランダ船などから生糸や絹織物を輸入できるか、慎重に確認した
みたい。ほかに砂糖や薬の原料も輸入されていたね。
サト:でも、多くの高級品を輸入するには、対価として輸出できる物がないと貿易が成り立たないよね。
フミ:それが鉱産物、特に( ウ )だったんだ。16世紀半ばから17世紀の初めにかけて、日本は( ウ )を増産するようになり、世界の中でも主要な産出国だったんだよね。
サト:18世紀になると、輸出品の内容は変わって、b 俵物の輸出が促進されるようになったんだよね。
フミ:でも、それまで輸入していた物産が、次第に国産化されるようになったことも重要だよね。
サト:そうそう。c 輸入に頼っていた砂糖は国産化が進むんだよね。
フミ:ほかにも、d 生糸や絹織物が国内で生産されるようになったことは人々のくらしにも大きな影響を及ぼしたんだよね。

下線部aに関して、江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止するに至るまでに起きた出来事を述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後のうちから一つ選べ。

Ⅰ  江戸幕府は、ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に限定した。
Ⅱ  かつてキリシタン大名の領地であった島原・天草地域で、牢人・百姓による大規模な一揆が起きた。
Ⅲ  江戸幕府は、キリスト教を禁止し、宣教師や信徒を迫害し始めた。
  • Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ
  • Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ
  • Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ
  • Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ
  • Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ
  • Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

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この過去問の解説 (3件)

01

江戸幕府の禁教政策に関する時代順からの出題です。


 

Ⅲ「江戸幕府は、キリスト教を禁止し、宣教師や信徒を迫害し始めた。」は禁教令に該当します。禁教令は1612年に発布され、翌年全国に対象範囲が広げられました。


 

Ⅰ「江戸幕府は、ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に限定した。」は1616年の出来事です。寄港地を限定することで、貿易の制限も行いました。


 

Ⅱ「かつてキリシタン大名の領地であった島原・天草地域で、牢人・百姓による大規模な一揆が起きた。」は島原・天草一揆に該当します。1637年より起こり、この乱の後にポルトガル船の来航が禁止されました。


 

選択肢1. Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ

不適な選択肢です。

選択肢2. Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ

不適な選択肢です。

選択肢3. Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ

不適な選択肢です。

選択肢4. Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ

不適な選択肢です。

選択肢5. Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ

適切な選択肢です。

選択肢6. Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

不適な選択肢です。

まとめ

鎖国政策に関する出題です。頻出分野ですので、年表で主要な出来事を確認するようにしましょう。

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02

●問題のポイント

江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止するに至るまでに起きた出来事の記述から、年代が古い順番に配列されたものを選ぶという問題です

 

●解答

記述された出来事が起こった年代を特定しましょう。

Ⅰ.江戸幕府は、ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎にした。

1612年に禁教令が発布されましたが、外国と盛んに貿易をするからにはキリスト教の流入は防げず、1616年に中国船を除く外国船の寄港地を平戸と長崎に限定し、キリスト教の流入を厳しく監視しようとしました。

「ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎にした」したのは1616年です。

 

Ⅱ.かつてキリシタン大名の領地であった島原・天草地域で、牢人・百姓による大規模は一揆が起きた。

1637年に起った島原の乱です。九州の島原地方のキリシタン農人たちが領主に対して反乱を起こしました。率いたのは天草四郎時貞でした。

「島原・天草地域で、牢人・百姓による大規模は一揆が起きた」のは、1637年です。

 

Ⅲ.江戸時代は、キリスト教を禁止し、宣教師や信徒を迫害し始めた。

家康は諸外国との交流を積極的に行っていましたので、キリスト教の影響が大きくなってきました。幕府への忠誠とキリスト教の精神は相容れないものだったので、1612年に禁教令(キリスト教の禁止)を出しました。

「キリスト教を禁止し、宣教師や信徒を迫害し始めた」のは、1612年です。

 

以上のことから、古い年代順は「Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ」となります。

選択肢1. Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ

この配列は誤りです。

 

 

 

選択肢2. Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ

この配列は誤りです。

選択肢3. Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ

この配列は誤りです。

選択肢4. Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ

この配列は誤りです。

選択肢5. Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ

正しい年代の配列です。

選択肢6. Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

この配列は誤りです。

まとめ

家康は、幕府への忠誠心を強要したいと考えていましたが、海外との貿易を積極的に行っていたことから、流入するキリスト教に頭を痛めていました。

そこで、さまざまな方法を使ってキリスト教を弾圧しようとしたわけです。ついには、外国船の入港地制限や貿易統制などを行って、外国との関係を厳しく管理し、鎖国に至っていきます。

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03

「Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ」の順が正しいです。

 

【各文の年代】

Ⅰ ヨーロッパ船寄港地を平戸・長崎に限定(1635年頃)
幕府は寛永十二年(1635)に「奉書船以外の日本船渡海禁止令」と「第3次鎖国令」を出し、外国船の寄港地を平戸と長崎に絞りました。

これは海外との接触を強く管理してキリスト教の流入と貿易の統制を図る狙いがあり、ポルトガル船についても監視を強める布石となりました。

 

Ⅱ 島原・天草一揆(1637–1638年)
かつてキリシタン大名が領した島原・天草地域で、重税や飢饉に苦しむ百姓・牢人が蜂起しました。

農民を中心とするこの大規模一揆はキリスト教徒が多数参加していたことから、幕府はキリスト教が反乱の精神的支柱になることを恐れ、鎮圧後に禁教・鎖国政策をさらに強化しました。

 

Ⅲ キリスト教禁教令の発令(1612–1614年)
慶長十七年(1612)に幕府直轄地での禁教令が出て、翌十八年(1613)には全国に拡大されました。

宣教師の追放や信徒の取り締まりが進められ、キリスト教は公然と信仰できない宗教となります。

この禁教体制が、のちにポルトガル船来航禁止へと続く幕府の対外・宗教政策の出発点でした。

選択肢1. Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ

誤りです。

選択肢2. Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ

誤りです。

選択肢3. Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ

誤りです。

選択肢4. Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ

誤りです。

選択肢5. Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ

正しい年代順です。

選択肢6. Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

誤りです。

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