共通テスト(地理歴史) 過去問
令和7年度(2025年度)追・再試験
問57 (歴史総合,日本史探究(第5問) 問2)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和7年度(2025年度)追・再試験 問57(歴史総合,日本史探究(第5問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

カオルさんは、江戸時代の大名と藩について研究発表することになり、疑問に思ったことをメモ1に書き記した。これを読んで、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

メモ1
(a)江戸時代の大名とそれ以前の守護や大名とでは、どのような点が異なっていたのだろうか?
(b)幕府が、大名に対して様々な統制をしていたのはなぜだろうか?
・そのような幕府の統制のもとで、諸藩はある程度独自の政治を行っていたのではないか?
(c)藩にとって、財政の運営は重要な課題であったのではないか?

下線部(b)に関連して、大名に対する幕府の政策に関して述べた文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

Ⅰ  諸大名は、領地の石高1万石あたり100石の米を幕府へ上納し、その代わりに、参勤交代の負担が軽減された。
Ⅱ  諸大名は、居城を残し、領内のそれ以外の城を破壊させられた。
Ⅲ  後継ぎのいない大名が死ぬ直前に願い出た養子は認めないとする規定が緩められ、断絶する大名家が少なくなった。
  • Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ
  • Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ
  • Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ
  • Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ
  • Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ
  • Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

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この過去問の解説 (2件)

01

幕府の大名統制は時代によって変化しました。

 

Ⅰは8代将軍吉宗の時代に行われた上げ米のことです。

大名は米を上納する代わりに参勤交代の負担を軽減されました。

 

Ⅱは2代将軍秀忠の時代に発布された一国一城令です。

大名の軍事力をそぐために実施されました。

 

Ⅲは4代将軍家綱の時代に実施された末期養子の禁の緩和です。

末期養子とは、大名が後継ぎがいない状態で亡くなったときに養子に大名家を継がせる仕組みです。

江戸時代初期は末期養子が禁止されていました。

しかし、藩が取り潰されると職を失った武士が牢人となって街中に居住し、治安悪化の一因となりました。

そのため、幕府はこれ以上の牢人の増加を防ぐため、末期養子の禁を緩和し、藩の存続を認めるようになりました。

 

時代順に並べると Ⅱ→Ⅲ→Ⅰとなります。

まとめ

将軍ごとの大名統制の変化を理解しましょう。

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02

この問題で問われているのは、

江戸時代における大名の処遇についてです。

 

まずはⅠについてです。

これは徳川吉宗の時代に出された上米の制です。

1722年の出来事です。

次にⅡです。

これは幕府成立直後に出された、

一国一城令です。よってⅠ7世紀前半だと分かります。

最後にⅢです。

これは1651年の末期養子の禁の緩和です。

 

以上よりⅡ、Ⅲ、Ⅰの順だと分かります。

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