共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)本試験
問5 (歴史総合,世界史探究(第1問) 問5)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)本試験 問5(歴史総合,世界史探究(第1問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史総合の授業で、「近現代における都市の変容」という主題について班別学習をした。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

坂井さんの班は、植民地化されたアジアの都市をテーマにして話し合った。

坂井:a 東南アジア各地は、ヨーロッパ諸国によって植民地化されています。例えば、フランスは、19世紀後半に、まずサイゴンを拠点にして、東南アジアの植民地化を進めていきます。
永島:サイゴン近隣のメコンデルタは、米穀生産が盛んな地域ですね。植民地化以前から、この地域で生産された米穀は、華僑・華人によって東アジアや東南アジアの各地に向けて輸出されていました。
吉村:1889年のサイゴンにおける現地の人以外の人口構成を見ると、華僑・華人の方が、主に植民地官僚と商人であったフランス人よりも多く、華僑・華人の活動が継続していたことが読み取れます。植民地化されて、変わったところと、そうでないところがあるのですね。
先生:考察が深まっていますね。植民地と一口に言っても、それぞれの地域の事情や、植民地化を進める宗主国の都合によって、状況は異なります。いくつか主要な都市を取り上げて、比較してみましょう。

下線部aについて述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
  • インドネシアでは、オランダから輸入される、特定の農産品への依存が進んだ。
  • スペインは、マラッカを植民地の拠点とした。
  • ビルマ(ミャンマー)は、英領インドの一部として植民地化された。
  • カンボジアは、英仏植民地の緩衝地帯として、独立を保った。

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この過去問の解説 (2件)

01

最も適当なのは、「ビルマ(ミャンマー)は、英領インドの一部として植民地化された。」です。

選択肢1. インドネシアでは、オランダから輸入される、特定の農産品への依存が進んだ。

内容が逆です。

オランダの支配下にあったインドネシアでは、19世紀に強制栽培制度が行われ、コーヒーや砂糖などの商品作物を生産させられました。

これらはインドネシアがオランダから輸入したのではなく、インドネシアで生産してヨーロッパなどへ輸出するための農産物でした。

選択肢2. スペインは、マラッカを植民地の拠点とした。

マラッカを植民地支配の拠点としたのはスペインではありません。

マラッカは16世紀にポルトガルが占領し、その後はオランダ、さらにイギリスの支配下に入りました。

スペインが東南アジアで支配した代表的な地域はフィリピンで、マニラを重要な拠点としました。

選択肢3. ビルマ(ミャンマー)は、英領インドの一部として植民地化された。

正解です。

イギリスは19世紀にビルマとの戦争を繰り返し、支配地域を広げました。

1886年にはビルマ全土をイギリス領とし、英領インドの一部として統治しました。

その後、1937年にビルマは英領インドから分離され、イギリスの直轄植民地となりました。

選択肢4. カンボジアは、英仏植民地の緩衝地帯として、独立を保った。

英仏の勢力の間で緩衝地帯となって独立を維持した国はタイ(シャム)です。

一方、カンボジアは19世紀後半にフランスの保護国となり、その後、フランス領インドシナに組み込まれました。

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02

ヨーロッパ諸国によって植民地化された東南アジア各地に関する問題です。

選択肢1. インドネシアでは、オランダから輸入される、特定の農産品への依存が進んだ。

インドネシアでは、オランダ向けにコーヒーやサトウキビなどを強制栽培制度によって生産していました。

この文章は誤りです。

選択肢2. スペインは、マラッカを植民地の拠点とした。

マラッカを植民地の拠点としたのは、ポルトガル・オランダ・イギリスです。

スペインではないので、この文章は誤りです。

選択肢3. ビルマ(ミャンマー)は、英領インドの一部として植民地化された。

正しい文章です。

ビルマ(ミャンマー)は、英領インドの一部として1886年に植民地化されました。

選択肢4. カンボジアは、英仏植民地の緩衝地帯として、独立を保った。

英仏植民地の緩衝地帯として独立を保ったのは、タイ王国です。

カンボジアはフランスの植民地だったので、この文章は誤りです。

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