共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)本試験
問28 (歴史総合,世界史探究(第5問) 問1)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)本試験 問28(歴史総合,世界史探究(第5問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史探究の授業で、「税制度と社会変容」というテーマについて、発表に向けた班別学習を行った。各班の活動に関連した次の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

1班は、明清時代の中国における税制度の変化がもたらした社会変容について、パネルを作成した。パネルから読み取れることやその背景について述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

パネル
【税制度の変化と対応】
明清時代の中国では、財政効率化のために、指定の純度の銀での納税が求められるようになった。
・市場では、様々な純度や形状の銀が、取引に使われていた。そこで農民は納税に際し、生産物を商人に売却して銀を手に入れた後、銀の純度の調整を職人に依頼し、県の役所まで自分で出掛けて納入することが必要になった。いずれも高額な経費が必要だった。
・官僚経験者や科挙合格者をはじめとする地域有力者たちは、県の行政事務に協力することで、商人、職人、役人よりも優位に立っていた。このため、彼らは納税に関わる高額な経費を支払う必要がなかった。
【社会の変容】
地域有力者は、上記の立場を利用し、納税代行に従事して、富を蓄積するようになった。彼らによる納税代行は、納税側、徴税側どちらにとっても都合が良かった。
  • 明清時代の中国では、交子や会子と呼ばれる紙幣も利用された。
  • 納税手続きに関与することは、郷紳にとって、蓄財の機会となった。
  • 明代に創始された両税法に基づき、銀での納税が求められた。
  • 生産物を納税用の銀に換える経費は、政府が負担した。

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この過去問の解説 (2件)

01

パネルでは、官僚経験者や科挙合格者などの地域有力者が、行政に協力することで有利な立場にあり、その立場を利用して納税を代行し、富を蓄積したと説明されています。

このような地域有力者は、明・清代の中国では郷紳と呼ばれました。

選択肢1. 明清時代の中国では、交子や会子と呼ばれる紙幣も利用された。

交子や会子は、明・清代ではなく、主に宋代に使われた紙幣です。

交子は北宋、会子は南宋で広く使われました。

選択肢2. 納税手続きに関与することは、郷紳にとって、蓄財の機会となった。

正解です。

官僚経験者や科挙合格者などの地域有力者は、地方社会で大きな力を持つ郷紳と呼ばれました。

パネルでは、こうした人々が有利な立場を利用して農民の納税を代行し、その仕事を通じて富を蓄えたとあります。

したがって、税制度の変化が郷紳の経済力をさらに強めることにつながったと考えられます。

選択肢3. 明代に創始された両税法に基づき、銀での納税が求められた。

両税法は唐代に始められた税制度です。

明代には、さまざまな税や労役をまとめて銀で納める一条鞭法が広まり、清代にはさらに地丁銀制が進められました。

明清時代の銀による納税は、こうした制度と関係します。

選択肢4. 生産物を納税用の銀に換える経費は、政府が負担した。

農民は、生産物を売って銀を手に入れ、さらに銀の純度を調整してもらい、自分で役所まで納めに行く必要がありました。

パネルには、こうした手続きに高額な経費が必要だったとあります。

政府がその費用を負担したとは書かれていません。

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02

明清時代の中国における税制度の変化がもたらした社会変容についての問題です。

選択肢1. 明清時代の中国では、交子や会子と呼ばれる紙幣も利用された。

交子は北宋の時代に発行された紙幣です。会子は南宋の時代に発行された紙幣です。

明清時代の中国ではないので、この文章は誤りです。

選択肢2. 納税手続きに関与することは、郷紳にとって、蓄財の機会となった。

正しい文章です。

郷紳とは、地域有力者のことです。

選択肢3. 明代に創始された両税法に基づき、銀での納税が求められた。

両税法は、780年に始まった唐の税制です。

1580年代に明で創始された一条鞭法は、丁税と地税を一括して銀納する税制です。

この文章は誤りです。

選択肢4. 生産物を納税用の銀に換える経費は、政府が負担した。

パネルには、農民が生産物を納税用の銀に換える経費は高額であると書かれています。政府が負担したとは書かれていないので、この文章は誤りです。

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