共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)本試験
問48 (歴史総合,日本史探究(第3問) 問3)
問題文
先生:図は、ある事件を題材にして描かれた絵巻物の一場面です。この事件の推移を整理した表も参考にしながら、どのような事件について描かれたものかを考えてみましょう。
マヤ:図中の一行はどのような人たちなのでしょうか。
先生:( ア )に着目すると、この一行は検非違使だと推測できます。
マヤ:検非違使は( イ )でしたね。
先生:そうです。もともと律令制では五衛府などが犯人の逮捕にあたっていましたが、この時期には検非違使が担当していました。
ヒデ:そうか。図は伴善男を捕らえにきた場面なんですね。
表 『日本三代実録』に記された事件関係記事
月日 内容
閏 3月10日 応天門に火がつき、それに連なる建物にも延焼した。
8月3日 伴善男らが応天門を焼いたとの通報があった。
8月7日 勘解由使の役所において、伴善男の取調べが行われた。
8月19日 太政大臣に命じて、天下の政治を摂(と)らせた。
9月22日 伴善男や共謀した者たちが流刑に処された。
マヤ:ところで、a 表中の太政大臣は、この事件に関わった藤原氏の人物で、他の政争にも関係していますね。
ヒデ:古代の政争は、政治の転換につながることも多いですよね。
先生:なるほど。ちなみにb 二人が重要と考える古代の出来事は何ですか。
下線部bに関連して、二人は古代の出来事のうち、政治の転換の契機となった出来事(あ)・(い)を挙げた。後の問いに答えよ。
(あ)7世紀半ばに、大臣(おおおみ)として権勢を振るった一族の父子が滅ぼされた出来事
(い)太上天皇と天皇の遷都をめぐる対立から、太上天皇の側近が殺害されたり自害したりした出来事
二人が挙げた出来事(あ)が政治の転換の契機と考えられる理由として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)本試験 問48(歴史総合,日本史探究(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
先生:図は、ある事件を題材にして描かれた絵巻物の一場面です。この事件の推移を整理した表も参考にしながら、どのような事件について描かれたものかを考えてみましょう。
マヤ:図中の一行はどのような人たちなのでしょうか。
先生:( ア )に着目すると、この一行は検非違使だと推測できます。
マヤ:検非違使は( イ )でしたね。
先生:そうです。もともと律令制では五衛府などが犯人の逮捕にあたっていましたが、この時期には検非違使が担当していました。
ヒデ:そうか。図は伴善男を捕らえにきた場面なんですね。
表 『日本三代実録』に記された事件関係記事
月日 内容
閏 3月10日 応天門に火がつき、それに連なる建物にも延焼した。
8月3日 伴善男らが応天門を焼いたとの通報があった。
8月7日 勘解由使の役所において、伴善男の取調べが行われた。
8月19日 太政大臣に命じて、天下の政治を摂(と)らせた。
9月22日 伴善男や共謀した者たちが流刑に処された。
マヤ:ところで、a 表中の太政大臣は、この事件に関わった藤原氏の人物で、他の政争にも関係していますね。
ヒデ:古代の政争は、政治の転換につながることも多いですよね。
先生:なるほど。ちなみにb 二人が重要と考える古代の出来事は何ですか。
下線部bに関連して、二人は古代の出来事のうち、政治の転換の契機となった出来事(あ)・(い)を挙げた。後の問いに答えよ。
(あ)7世紀半ばに、大臣(おおおみ)として権勢を振るった一族の父子が滅ぼされた出来事
(い)太上天皇と天皇の遷都をめぐる対立から、太上天皇の側近が殺害されたり自害したりした出来事
二人が挙げた出来事(あ)が政治の転換の契機と考えられる理由として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- この出来事により、八つの姓(かばね)が定められ、豪族の身分秩序が再編成されたから。
- この出来事により、都が近江に遷(うつ)され、最初の全国的戸籍が作られたから。
- この出来事により、僧侶が太政官の頂点に立ち、仏教中心の政策がとられたから。
- この出来事により、摂政または関白が常置されるようになったから。
- この出来事により、地方行政組織である評の設置などの政治改革が進められたから。
- この出来事により、天皇の命令が蔵人所を通して太政官に伝達されるようになったから。
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この過去問の解説 (2件)
01
大化の改新に関する問題です。
(あ)7世紀半ばに、大臣(おおおみ)として権勢を振るった一族の父子が滅ぼされた出来事 は、645年の乙巳の変(いっしのへん)です。
中大兄皇子や中臣鎌足らによって、蘇我蝦夷・蘇我入鹿父子が滅ぼされました。
八色の姓は天武天皇によって、684年に制定されました。飛鳥浄御原令の制定が681年に始まり、同じ時期に定められました。
選択肢としては誤りです。
天智天皇によって都が近江に遷(うつ)されたのは667年、最初の全国的戸籍である庚午年籍が作られたのは670年です。
663年の白村江の戦いで敗戦したことで、国土防衛が重要視されました。
選択肢としては誤りです。
765年に道鏡は、称徳天皇のもとで太政官の頂点に立ちました。764年の藤原仲麻呂の乱で太政大臣であった藤原仲麻呂が失脚したことが主因です。
選択肢としては誤りです。
969年の安和の変で藤原氏に対抗できる貴族がいなくなり、藤原氏による摂政または関白が常置されるようになりました。
選択肢としては誤りです。
正しい選択肢です。
大化の改新で、国造の支配地は再編されて「国-評-里(郷)」の体制になりました。
蔵人所は、810年に嵯峨天皇によって設置されました。それは、平城太上天皇の変の一因になりました。
選択肢としては誤りです。
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02
古代の政争に関する問題です。
(あ)は645年に起こった乙巳の変についての記述です。
この変で中大兄皇子らによって蘇我蝦夷・入鹿父子は滅ぼされました。
誤り
壬申の乱(671年)に関する記述です。
これにより、豪族の身分秩序が再編成されました。
誤り
白村江の戦い(663年)に関する記述です。
667年には中大兄皇子が都を近江へ遷しました。
また670年には最初の完備した全国的戸籍である庚午年籍が天智天皇の下で作成されました。
誤り
藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱(764年)に関する記述です。
藤原仲麻呂が道鏡を除こうとしたが失敗し、その後に道鏡は太政大臣禅師となり、仏教政治を行いました。
誤り
安和の変(969年)に関する記述です。
冷泉天皇の下で左大臣だった源高明を藤原氏が失脚させた事件です。
以後、摂関常置となり、藤原氏の全盛となりました。
正しい
乙巳の変(645年)に関する記述です。
これを契機に大化改新が開始され、唐の律令制を基に天皇中心の中央集権国家建設が目標とされました。
誤り
平城太上天皇の変(810年)に関する記述です。
平城遷都を主張する平城太上天皇と嵯峨天皇が対立して、天皇側が勝利した政変です。
これにより嵯峨天皇は蔵人所・検非違使の設置などを行いました。
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