共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)本試験
問52 (歴史総合,日本史探究(第4問) 問1)
問題文
カイリさんたちは、北条政子と日野富子に着目して資料1~3を集めた。
北条政子の評価に関する資料1・2について述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料1 天台僧慈円が書いた歴史書『愚管抄』
将軍源実朝の世となったが、母の政子が生きていたので、実質は政子の世であった。(中略)日本は女人が政治の最後の仕上げをする国であるということが、本当のことになったのだ。
資料2 一条兼良が将軍足利義尚に政道を説いた書『樵談治要』
この日本国はもともと姫氏国といって、女が治める国である。(中略)近い世では、鎌倉の右大将の正妻尼二位政子は北条時政の娘で、二代の将軍の母である。(中略)右大将が亡くなった後はもっぱら尼二位が鎌倉を支配して立派に政治をし、承久の乱の時には義時が彼女の呼びかけを各地の御家人に伝えた。
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問題
共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)本試験 問52(歴史総合,日本史探究(第4問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
カイリさんたちは、北条政子と日野富子に着目して資料1~3を集めた。
北条政子の評価に関する資料1・2について述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
資料1 天台僧慈円が書いた歴史書『愚管抄』
将軍源実朝の世となったが、母の政子が生きていたので、実質は政子の世であった。(中略)日本は女人が政治の最後の仕上げをする国であるということが、本当のことになったのだ。
資料2 一条兼良が将軍足利義尚に政道を説いた書『樵談治要』
この日本国はもともと姫氏国といって、女が治める国である。(中略)近い世では、鎌倉の右大将の正妻尼二位政子は北条時政の娘で、二代の将軍の母である。(中略)右大将が亡くなった後はもっぱら尼二位が鎌倉を支配して立派に政治をし、承久の乱の時には義時が彼女の呼びかけを各地の御家人に伝えた。
- 資料1中の「将軍源実朝の世」に、北条政子は和田義盛を侍所の長官に任じた。
- 資料2から、北条政子の呼びかけは北条義時を通じて六波羅探題にも伝えられたことが分かる。
- 資料1・2ともに、北条政子が鎌倉幕府の実権を握ったと評価している。
- 資料1・2ともに、13世紀に成立した、北条政子に関する資料である。
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この過去問の解説 (2件)
01
北条政子の評価に関する問題です。
和田義盛が侍所の長官に任じられたのは1180年なので、この選択肢は誤りです。
六波羅探題は1221年に、承久の乱が終わった後に設置されました。この選択肢は誤りです。
正しい選択肢です。
『愚管抄』は1220年頃、『樵談治要』は1480年に成立しました。
この選択肢は誤りです。
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02
女性と政治に関する問題です。
誤り
和田義盛は源頼朝の時代に侍所の長官に命じられました。
誤り
六波羅探題は承久の乱の後に置かれました。
正しい
資料1では「日本は女人が政治の最後の仕上げをする国であるということが、本当のことになったのだ」という記述があります。
また資料2では「この日本国はもともと姫氏国といって、女が治める国である」と記されています。
このことより北条政子が幕府の実権を握ったと評価されていることが分かります。
誤り
『愚管抄』は慈円の歴史書で1220年に完成しました。
一方、『樵談治要』は1480年の書になります。
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