共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)本試験
問56 (歴史総合,日本史探究(第4問) 問5)
問題文
カイリさんたちは、将軍の妻以外の中世の女性にも着目して、鳥羽上皇の娘八条院(暲子(しょうし)内親王)について調べて議論をし、ノート2にまとめた。
ノート2
【八条院(1137年〜1211年)について】
1161年に「八条院」の院号を宣下された。a 鳥羽上皇が院政を行っていた時期に、八条院は、上皇から譲られた所領を中心に自身の所領群を形成した。それらはb 八条院領と呼ばれ、八条院の死後、彼女の養子に譲られた。
【八条院についての考察】
八条院には、北条政子や日野富子のような政治力があったのだろうか。
■八条院には政治力がなかったと考える意見
八条院の所領は、鳥羽上皇の死後も八条院の生涯を通じて大きく増えた。このことから分かるのは八条院が( ア )ことであり、政治力とは直接結びつかない。
■八条院には政治力があったと考える意見
八条院は、弟の近衛天皇が亡くなった際には天皇の候補に挙げられた。また、治承・寿永の内乱期には以仁王の子を保護したことで、( イ )につながる姿勢を示している。これらのことから、八条院には政治力があったと考えられる。
カイリさんたちは中世を対象にした探究を踏まえて、女性が政治に関わることに対する江戸時代の考え方を調べ、ノート3にまとめた。ノート3や江戸時代の女性に関して述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
ノート3
・女性が主導権を握った家や国は滅びることを意味する「牝鶏晨(ひんけいあした)す」という言葉は、儒教の根本経典の中に見える。
・「牝鶏晨す」という考え方は、17世紀後半に書かれた教訓書でも言及されるようになる。
・17世紀後半に入ると、中国の女性伝の要約や和訳が出版され始め、男性を支えることが女性の美徳とされるようになる。
・同じ頃に、「牝鶏晨す」という言葉を引用し、女性と政治との関係を戒める箇条を入れた武家家訓も現れる。
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問題
共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)本試験 問56(歴史総合,日本史探究(第4問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)
カイリさんたちは、将軍の妻以外の中世の女性にも着目して、鳥羽上皇の娘八条院(暲子(しょうし)内親王)について調べて議論をし、ノート2にまとめた。
ノート2
【八条院(1137年〜1211年)について】
1161年に「八条院」の院号を宣下された。a 鳥羽上皇が院政を行っていた時期に、八条院は、上皇から譲られた所領を中心に自身の所領群を形成した。それらはb 八条院領と呼ばれ、八条院の死後、彼女の養子に譲られた。
【八条院についての考察】
八条院には、北条政子や日野富子のような政治力があったのだろうか。
■八条院には政治力がなかったと考える意見
八条院の所領は、鳥羽上皇の死後も八条院の生涯を通じて大きく増えた。このことから分かるのは八条院が( ア )ことであり、政治力とは直接結びつかない。
■八条院には政治力があったと考える意見
八条院は、弟の近衛天皇が亡くなった際には天皇の候補に挙げられた。また、治承・寿永の内乱期には以仁王の子を保護したことで、( イ )につながる姿勢を示している。これらのことから、八条院には政治力があったと考えられる。
カイリさんたちは中世を対象にした探究を踏まえて、女性が政治に関わることに対する江戸時代の考え方を調べ、ノート3にまとめた。ノート3や江戸時代の女性に関して述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
ノート3
・女性が主導権を握った家や国は滅びることを意味する「牝鶏晨(ひんけいあした)す」という言葉は、儒教の根本経典の中に見える。
・「牝鶏晨す」という考え方は、17世紀後半に書かれた教訓書でも言及されるようになる。
・17世紀後半に入ると、中国の女性伝の要約や和訳が出版され始め、男性を支えることが女性の美徳とされるようになる。
・同じ頃に、「牝鶏晨す」という言葉を引用し、女性と政治との関係を戒める箇条を入れた武家家訓も現れる。
- 「牝鶏晨す」という言葉は、日本に初めて儒教が伝来した平安時代に、日本に伝わったと考えられる。
- 「牝鶏晨す」という考え方は、社会が不安定になり、武力が必要になり始めた時期の日本で普及したと考えられる。
- 江戸時代には、『女大学』などの女性を対象とした教訓書において、夫婦間の平等が説かれた。
- 江戸時代には、女性の労働は経済的・社会的に重要であったが、政治においては女性は遠ざけられる傾向にあった。
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この過去問の解説 (2件)
01
女性が政治に関わることに対する江戸時代の考え方についての出題です。
日本に初めて儒教が伝来したのは513年と言われているので、この選択肢は誤りです。
ノート3には、「「牝鶏晨す」という考え方は、17世紀後半に書かれた教訓書でも言及されるようになる。」と書かれています。17世紀後半は江戸時代初期なので、この選択肢は誤りです。
貝原益軒が著わした『女大学』では、妻の夫への服従が強調されています。この選択肢は誤りです。
正しい選択肢です。
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02
女性が政治に関わることに対する江戸時代の考え方に関する問題です。
誤り
儒教が日本に初めて伝来したのは6世紀のことで、平安時代ではありません。
誤り
1615年に豊臣秀頼が滅亡したので、17世紀後半は社会は安定していたと考えられます。
誤り
『女大学』は江戸中期の女子教訓書です。
これは良妻賢母主義教育の典型であり、夫婦間の平等は説かれていません。
正しい
ノート3に「同じ頃に、『牝鶏晨す』という言葉を引用し、女性と政治との関係を戒める箇条を入れた武家家訓も現れる」という記述が見られることから、江戸時代には女性は政治から遠ざけられる傾向にあったと考えられます。
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