共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問10 (歴史総合,世界史探究(第2問) 問2)
問題文
世界史探究の授業で、時代によって建築物や都市空間の持つ意味や利用方法がどのように変化したのかについて、生徒たちが様々な資料を基に考察を深めている。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
1班は、中国河北省にある、11世紀に建設された図1の仏塔について調べ、図2とパネルを作成した。
パネル
・図1は定州開元寺塔といい、中国に現存する最も高いレンガ造りの仏塔で、高さは83.7メートルある。開元寺の仏僧がインドから持ち帰った舎利を奉納するために、宋の真宗の命令で建設された。
・塔がある開元寺は、創建年代は不明だが、a 唐の玄宗が、当時の元号に基づき、「開元」という寺名を与えた。
・塔は咸平(かんぺい)4(1001)年に建設が始まり、至和2(1055)年に落成した。
・塔の建設が始まった直後、澶淵の盟が結ばれたことで、定州は宋と「敵」との境界近くに位置することになり、その「敵」を瞭望できることから、瞭敵塔(りょうてきとう)とも呼ばれた。
上記の文章を参考にしつつ、パネルにある「敵」について述べた文あ・いと、この塔がある定州の位置を示す図2中のa・bとについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
パネルにある「敵」について述べた文
あ 耶律阿保機により建国された。
い 靖康の変で、皇帝を捕虜にした。
1班は、中国河北省にある、11世紀に建設された図1の仏塔について調べ、図2とパネルを作成した。
パネル
・図1は定州開元寺塔といい、中国に現存する最も高いレンガ造りの仏塔で、高さは83.7メートルある。開元寺の仏僧がインドから持ち帰った舎利を奉納するために、宋の真宗の命令で建設された。
・塔がある開元寺は、創建年代は不明だが、a 唐の玄宗が、当時の元号に基づき、「開元」という寺名を与えた。
・塔は咸平(かんぺい)4(1001)年に建設が始まり、至和2(1055)年に落成した。
・塔の建設が始まった直後、澶淵の盟が結ばれたことで、定州は宋と「敵」との境界近くに位置することになり、その「敵」を瞭望できることから、瞭敵塔(りょうてきとう)とも呼ばれた。
上記の文章を参考にしつつ、パネルにある「敵」について述べた文あ・いと、この塔がある定州の位置を示す図2中のa・bとについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
パネルにある「敵」について述べた文
あ 耶律阿保機により建国された。
い 靖康の変で、皇帝を捕虜にした。
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問題
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共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問10(歴史総合,世界史探究(第2問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
世界史探究の授業で、時代によって建築物や都市空間の持つ意味や利用方法がどのように変化したのかについて、生徒たちが様々な資料を基に考察を深めている。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
1班は、中国河北省にある、11世紀に建設された図1の仏塔について調べ、図2とパネルを作成した。
パネル
・図1は定州開元寺塔といい、中国に現存する最も高いレンガ造りの仏塔で、高さは83.7メートルある。開元寺の仏僧がインドから持ち帰った舎利を奉納するために、宋の真宗の命令で建設された。
・塔がある開元寺は、創建年代は不明だが、a 唐の玄宗が、当時の元号に基づき、「開元」という寺名を与えた。
・塔は咸平(かんぺい)4(1001)年に建設が始まり、至和2(1055)年に落成した。
・塔の建設が始まった直後、澶淵の盟が結ばれたことで、定州は宋と「敵」との境界近くに位置することになり、その「敵」を瞭望できることから、瞭敵塔(りょうてきとう)とも呼ばれた。
上記の文章を参考にしつつ、パネルにある「敵」について述べた文あ・いと、この塔がある定州の位置を示す図2中のa・bとについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
パネルにある「敵」について述べた文
あ 耶律阿保機により建国された。
い 靖康の変で、皇帝を捕虜にした。
1班は、中国河北省にある、11世紀に建設された図1の仏塔について調べ、図2とパネルを作成した。
パネル
・図1は定州開元寺塔といい、中国に現存する最も高いレンガ造りの仏塔で、高さは83.7メートルある。開元寺の仏僧がインドから持ち帰った舎利を奉納するために、宋の真宗の命令で建設された。
・塔がある開元寺は、創建年代は不明だが、a 唐の玄宗が、当時の元号に基づき、「開元」という寺名を与えた。
・塔は咸平(かんぺい)4(1001)年に建設が始まり、至和2(1055)年に落成した。
・塔の建設が始まった直後、澶淵の盟が結ばれたことで、定州は宋と「敵」との境界近くに位置することになり、その「敵」を瞭望できることから、瞭敵塔(りょうてきとう)とも呼ばれた。
上記の文章を参考にしつつ、パネルにある「敵」について述べた文あ・いと、この塔がある定州の位置を示す図2中のa・bとについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
パネルにある「敵」について述べた文
あ 耶律阿保機により建国された。
い 靖康の変で、皇帝を捕虜にした。
- あ — a
- あ — b
- い — a
- い — b
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この過去問の解説 (2件)
01
パネルにある「敵」について述べた文
あ 耶律阿保機により建国された が当てはまります。
澶淵の盟は、1004年に北宋と遼との間で結ばれました。
遼は、耶律阿保機により916年に建国されました。
遼は936年に燕雲十六州を、後晋から割譲されています。
い 靖康の変で、皇帝を捕虜にした。
金が靖康の変で北宋の皇帝を捕虜にしたのは1127年の出来事なので、この選択肢は誤りです。
定州の位置 b になります。
塔の建設が始まった時、すでに燕雲十六州は遼の領土の一部でした。
よって、正解は あ — b になります。
誤った選択肢です。
正しい選択肢です。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
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02
パネルにある「敵」は、宋の北方にあった遼(契丹)です。
遼は耶律阿保機によって建国されました。
また、定州は遼との境界より南側、つまり宋の領域にあったため、図2ではbに当たります。
正解です。
耶律阿保機は契丹を統一して国を建て、のちの遼の基礎を築いた人物です。
1004年、宋と遼の間で澶淵の盟が結ばれ、両国の関係が定められました。
定州は遼との境界に近い宋側の地域にありました。
図2では境界線より南側にあるbが定州の位置に当たります。
「靖康の変で、皇帝を捕虜にした」のは遼ではなく、金です。
1127年の靖康の変では、金が北宋の都・開封を攻略し、皇帝の欽宗や前皇帝の徽宗らを捕らえました。
そのため、「い」はパネルの「敵」を説明した文ではありません。
図2のaは境界より北側にあり、遼の領域を示しています。
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