共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問23 (歴史総合,世界史探究(第4問) 問3)
問題文
世界史探究の授業で、世界史上における知識や情報の伝播(でんぱ)をテーマに、生徒たちがグループ学習を行った。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
市川さんたちのグループは、ヨーロッパの情報が遠隔地の日本へどのように伝播していたのかに関心を抱き、それがうかがえる資料3を基に話し合っている。
資料3
昨今のヨーロッパは、戦争ばかりである。
スペインの国王には後継者となる息子がいなかった。同国の人々は、神聖ローマ皇帝の第二子が、必ず後継者になるものと思っていたが、それは、神聖ローマ皇帝が、スペイン国王の母方の叔父だったからである。
1700年に、スペイン国王が死去する時点でも、後継者はいまだ定まっておらず、国王は遺言書を残した。その遺言書を開封してみると、「フランス国王の孫を後継者とすべし」と記されていた。皆は大変に驚いたが、あえて反対せず、それに従った。神聖ローマ皇帝はそれを喜ばず、自分の第二子を送り込もうとした。ローマ教皇は双方を説得して、平和を追求したが、神聖ローマ皇帝はその説得に応じず、ついに軍隊を派遣して、自分の皇子をスペインに送り込んだ。
市川:資料3は、江戸幕府に仕えた新井白石が、同時期のヨーロッパの情勢について記した『西洋紀聞』の一部です。
小林:以前に世界史探究の授業で学んだ、当時のヨーロッパ諸国間の関係について、かなり正確に状況を把握しているように感じます。
市川:私もそう思いました。新井白石は、いわゆる「鎖国」状態の日本に布教のために潜入して捕らえられたキリスト教聖職者の取調べ内容を、自著に反映させたそうです。ちなみにこの聖職者は、イグナティウス=ロヨラらにより設立された( ウ )に属していました。
村井:電信などが実用化されるまでは、遠隔地間の情報の伝播は、やはり実際の人の移動によって担われていたのですね。
資料3で紹介されている戦争の背景や経緯について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
市川さんたちのグループは、ヨーロッパの情報が遠隔地の日本へどのように伝播していたのかに関心を抱き、それがうかがえる資料3を基に話し合っている。
資料3
昨今のヨーロッパは、戦争ばかりである。
スペインの国王には後継者となる息子がいなかった。同国の人々は、神聖ローマ皇帝の第二子が、必ず後継者になるものと思っていたが、それは、神聖ローマ皇帝が、スペイン国王の母方の叔父だったからである。
1700年に、スペイン国王が死去する時点でも、後継者はいまだ定まっておらず、国王は遺言書を残した。その遺言書を開封してみると、「フランス国王の孫を後継者とすべし」と記されていた。皆は大変に驚いたが、あえて反対せず、それに従った。神聖ローマ皇帝はそれを喜ばず、自分の第二子を送り込もうとした。ローマ教皇は双方を説得して、平和を追求したが、神聖ローマ皇帝はその説得に応じず、ついに軍隊を派遣して、自分の皇子をスペインに送り込んだ。
市川:資料3は、江戸幕府に仕えた新井白石が、同時期のヨーロッパの情勢について記した『西洋紀聞』の一部です。
小林:以前に世界史探究の授業で学んだ、当時のヨーロッパ諸国間の関係について、かなり正確に状況を把握しているように感じます。
市川:私もそう思いました。新井白石は、いわゆる「鎖国」状態の日本に布教のために潜入して捕らえられたキリスト教聖職者の取調べ内容を、自著に反映させたそうです。ちなみにこの聖職者は、イグナティウス=ロヨラらにより設立された( ウ )に属していました。
村井:電信などが実用化されるまでは、遠隔地間の情報の伝播は、やはり実際の人の移動によって担われていたのですね。
資料3で紹介されている戦争の背景や経緯について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
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共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問23(歴史総合,世界史探究(第4問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
世界史探究の授業で、世界史上における知識や情報の伝播(でんぱ)をテーマに、生徒たちがグループ学習を行った。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
市川さんたちのグループは、ヨーロッパの情報が遠隔地の日本へどのように伝播していたのかに関心を抱き、それがうかがえる資料3を基に話し合っている。
資料3
昨今のヨーロッパは、戦争ばかりである。
スペインの国王には後継者となる息子がいなかった。同国の人々は、神聖ローマ皇帝の第二子が、必ず後継者になるものと思っていたが、それは、神聖ローマ皇帝が、スペイン国王の母方の叔父だったからである。
1700年に、スペイン国王が死去する時点でも、後継者はいまだ定まっておらず、国王は遺言書を残した。その遺言書を開封してみると、「フランス国王の孫を後継者とすべし」と記されていた。皆は大変に驚いたが、あえて反対せず、それに従った。神聖ローマ皇帝はそれを喜ばず、自分の第二子を送り込もうとした。ローマ教皇は双方を説得して、平和を追求したが、神聖ローマ皇帝はその説得に応じず、ついに軍隊を派遣して、自分の皇子をスペインに送り込んだ。
市川:資料3は、江戸幕府に仕えた新井白石が、同時期のヨーロッパの情勢について記した『西洋紀聞』の一部です。
小林:以前に世界史探究の授業で学んだ、当時のヨーロッパ諸国間の関係について、かなり正確に状況を把握しているように感じます。
市川:私もそう思いました。新井白石は、いわゆる「鎖国」状態の日本に布教のために潜入して捕らえられたキリスト教聖職者の取調べ内容を、自著に反映させたそうです。ちなみにこの聖職者は、イグナティウス=ロヨラらにより設立された( ウ )に属していました。
村井:電信などが実用化されるまでは、遠隔地間の情報の伝播は、やはり実際の人の移動によって担われていたのですね。
資料3で紹介されている戦争の背景や経緯について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
市川さんたちのグループは、ヨーロッパの情報が遠隔地の日本へどのように伝播していたのかに関心を抱き、それがうかがえる資料3を基に話し合っている。
資料3
昨今のヨーロッパは、戦争ばかりである。
スペインの国王には後継者となる息子がいなかった。同国の人々は、神聖ローマ皇帝の第二子が、必ず後継者になるものと思っていたが、それは、神聖ローマ皇帝が、スペイン国王の母方の叔父だったからである。
1700年に、スペイン国王が死去する時点でも、後継者はいまだ定まっておらず、国王は遺言書を残した。その遺言書を開封してみると、「フランス国王の孫を後継者とすべし」と記されていた。皆は大変に驚いたが、あえて反対せず、それに従った。神聖ローマ皇帝はそれを喜ばず、自分の第二子を送り込もうとした。ローマ教皇は双方を説得して、平和を追求したが、神聖ローマ皇帝はその説得に応じず、ついに軍隊を派遣して、自分の皇子をスペインに送り込んだ。
市川:資料3は、江戸幕府に仕えた新井白石が、同時期のヨーロッパの情勢について記した『西洋紀聞』の一部です。
小林:以前に世界史探究の授業で学んだ、当時のヨーロッパ諸国間の関係について、かなり正確に状況を把握しているように感じます。
市川:私もそう思いました。新井白石は、いわゆる「鎖国」状態の日本に布教のために潜入して捕らえられたキリスト教聖職者の取調べ内容を、自著に反映させたそうです。ちなみにこの聖職者は、イグナティウス=ロヨラらにより設立された( ウ )に属していました。
村井:電信などが実用化されるまでは、遠隔地間の情報の伝播は、やはり実際の人の移動によって担われていたのですね。
資料3で紹介されている戦争の背景や経緯について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- 資料3に登場するフランス国王は、宰相リシュリューを重用して、重商主義政策を追求した。
- 資料3に登場するフランス国王は、サンスーシ宮殿を造営して自身の権威を高め、国外での勢力拡大にも努めた。
- この戦争の結果、スペインには、ブルボン家の王朝が成立した。
- この戦争と同時期に行われたトラファルガーの海戦で、フランスはイギリスに敗れた。
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この過去問の解説 (2件)
01
資料3で紹介されているスペイン継承戦争の、背景や経緯についての出題です。
スペイン継承戦争は、1701-14年に起こりました。
資料3に登場するフランス国王は、ルイ14世です。ルイ14世は、財務総監にコルベールを起用しました。
宰相リシュリューを重用したのは、ルイ13世です。
この選択肢は誤りです。
ルイ14世は、1682年にベルサイユ宮殿を造営しました。
1747年にサンスーシ宮殿を造営したのは、プロイセン王国のフリードリヒ2世です。
この選択肢は誤りです
正しい選択肢です。
1713年のユトレヒト条約で、ブルボン家のフェリペ5世はスペイン王になることを認められました。
1805年のトラファルガーの海戦で、フランスはイギリスに敗れました。
スペイン継承戦争と同時期ではないので、この選択肢は誤りです
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02
資料3で扱われているのは、1701年に始まったスペイン継承戦争です。
スペイン王カルロス2世が後継者を残さずに亡くなり、フランスのブルボン家とオーストリアのハプスブルク家が王位継承をめぐって争いました。
戦争の結果、フランス王ルイ14世の孫がフェリペ5世としてスペイン王となり、スペインではブルボン家の王朝が始まりました。
資料3に登場するフランス国王はルイ14世です。
しかし、リシュリューを宰相として重用したのは、その前のフランス王ルイ13世です。
また、ルイ14世の時代に重商主義政策を進めたことで知られる人物は財務総監コルベールです。
サンスーシ宮殿を造営したのは、フランス王ルイ14世ではなく、18世紀のプロイセン王フリードリヒ2世です。
ルイ14世が造営したことで知られる宮殿はヴェルサイユ宮殿です。
正解です。
スペイン王カルロス2世は後継者を残さず、フランス王ルイ14世の孫であるフィリップを後継者とする遺言を残しました。
これに対して、オーストリアのハプスブルク家などが反発し、スペイン継承戦争が起こりました。
戦争の結果、ルイ14世の孫がフェリペ5世としてスペイン王となり、スペインではブルボン家による王朝が成立しました。
スペイン継承戦争は1701年から1714年にかけて行われました。
一方、トラファルガーの海戦が行われたのは1805年で、ナポレオン戦争の時代です。
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