共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問26 (歴史総合,世界史探究(第4問) 問6)
問題文
世界史探究の授業で、世界史上における知識や情報の伝播(でんぱ)をテーマに、生徒たちがグループ学習を行った。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
中野さんたちのグループは、19世紀に書かれた小説を基に、情報伝達技術の歴史を調べ、パネルを作成した。
パネル
【小説のあらすじ】
・イギリス人作家キプリングの小説「スドゥーの家にて」は、1886年に初めて発表された。
・この小説は、スドゥーという老人が、アフガニスタンとの国境に近い英領インドの町ペシャワールで病気にかかった息子を心配するところから始まる。それを知った隣人が、当時、最新技術であった電信で得た情報を、魔術によるものと偽って、老人を騙(だま)そうとする。
【小説の背景となった歴史的状況】
・1855年には、すでに、ペシャワールでは電信が開通していた。
・19世紀から20世紀初頭に、イギリスとロシアとの間で、ユーラシア大陸における勢力争いが展開し、「( エ )」と呼ばれた。この言葉は、キプリングの別の小説『キム』によって広まったとも言われる。
パネル中の空欄( エ )に入る語句の具体的な事例として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
中野さんたちのグループは、19世紀に書かれた小説を基に、情報伝達技術の歴史を調べ、パネルを作成した。
パネル
【小説のあらすじ】
・イギリス人作家キプリングの小説「スドゥーの家にて」は、1886年に初めて発表された。
・この小説は、スドゥーという老人が、アフガニスタンとの国境に近い英領インドの町ペシャワールで病気にかかった息子を心配するところから始まる。それを知った隣人が、当時、最新技術であった電信で得た情報を、魔術によるものと偽って、老人を騙(だま)そうとする。
【小説の背景となった歴史的状況】
・1855年には、すでに、ペシャワールでは電信が開通していた。
・19世紀から20世紀初頭に、イギリスとロシアとの間で、ユーラシア大陸における勢力争いが展開し、「( エ )」と呼ばれた。この言葉は、キプリングの別の小説『キム』によって広まったとも言われる。
パネル中の空欄( エ )に入る語句の具体的な事例として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
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共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問26(歴史総合,世界史探究(第4問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)
世界史探究の授業で、世界史上における知識や情報の伝播(でんぱ)をテーマに、生徒たちがグループ学習を行った。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
中野さんたちのグループは、19世紀に書かれた小説を基に、情報伝達技術の歴史を調べ、パネルを作成した。
パネル
【小説のあらすじ】
・イギリス人作家キプリングの小説「スドゥーの家にて」は、1886年に初めて発表された。
・この小説は、スドゥーという老人が、アフガニスタンとの国境に近い英領インドの町ペシャワールで病気にかかった息子を心配するところから始まる。それを知った隣人が、当時、最新技術であった電信で得た情報を、魔術によるものと偽って、老人を騙(だま)そうとする。
【小説の背景となった歴史的状況】
・1855年には、すでに、ペシャワールでは電信が開通していた。
・19世紀から20世紀初頭に、イギリスとロシアとの間で、ユーラシア大陸における勢力争いが展開し、「( エ )」と呼ばれた。この言葉は、キプリングの別の小説『キム』によって広まったとも言われる。
パネル中の空欄( エ )に入る語句の具体的な事例として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
中野さんたちのグループは、19世紀に書かれた小説を基に、情報伝達技術の歴史を調べ、パネルを作成した。
パネル
【小説のあらすじ】
・イギリス人作家キプリングの小説「スドゥーの家にて」は、1886年に初めて発表された。
・この小説は、スドゥーという老人が、アフガニスタンとの国境に近い英領インドの町ペシャワールで病気にかかった息子を心配するところから始まる。それを知った隣人が、当時、最新技術であった電信で得た情報を、魔術によるものと偽って、老人を騙(だま)そうとする。
【小説の背景となった歴史的状況】
・1855年には、すでに、ペシャワールでは電信が開通していた。
・19世紀から20世紀初頭に、イギリスとロシアとの間で、ユーラシア大陸における勢力争いが展開し、「( エ )」と呼ばれた。この言葉は、キプリングの別の小説『キム』によって広まったとも言われる。
パネル中の空欄( エ )に入る語句の具体的な事例として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- イギリスは、19世紀に、二度にわたってアフガニスタンに侵攻した。
- イギリスは、フランスなどとともに、第2次中東戦争を起こした。
- ロシアは、ポーランド分割に参加した。
- サン=ステファノ条約によって、ブルガリアの領土が縮小された。
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この過去問の解説 (2件)
01
エ には グレート・ゲーム が当てはまります。
アフガニスタンをめぐるイギリスとロシアの情報戦がチェスに似ていたことが名前の由来です。
グレート・ゲームは、1907年の英露協定によって一応決着しました。
正しい選択肢です。
第一次アフガン戦争(1838-42年)、第二次アフガン戦争(1878-80年)に相当します。
第二次アフガン戦争の結果、1880年にイギリスはアフガニスタンを保護国化しました。
イギリスが、フランスなどとともに第2次中東戦争を起こしたのは1956年なので、この選択肢は誤りです。
ポーランド分割は18世紀後半の出来事です。
イギリスはポーランド分割に参加していないので、この選択肢は誤りです。
サン=ステファノ条約は1878年に締結されました。
サン=ステファノ条約によって、ロシアの影響力が大きい大ブルガリア公国が構想されました。
しかし、イギリスなどの反対があって、同年のベルリン条約によってブルガリアの領土は縮小されました。
この選択肢は誤りです。
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02
空欄(エ)に入るのは、イギリスとロシアが中央アジアで勢力を争った「グレート=ゲーム」です。
イギリスは、ロシアの南下を警戒し、インドを守るためにアフガニスタンへ二度侵攻しました。
これはグレート=ゲームを示す代表的な事例です。
正解です。
19世紀、イギリスはインドを植民地として支配していました。
一方、ロシアは中央アジアへ勢力を広げていました。
イギリスは、ロシアの影響がインドの近くまで及ぶことを警戒し、アフガニスタンを両国の間の重要な地域と考えました。
そのため、第1次アフガン戦争と第2次アフガン戦争を起こしました。
このようなイギリスとロシアの中央アジアをめぐる勢力争いが、グレート=ゲームと呼ばれます。
第2次中東戦争は、1956年に起こったスエズ戦争のことです。
イギリスやフランス、イスラエルがエジプトを攻撃しましたが、これは20世紀半ばの出来事です。
19世紀から20世紀初頭のイギリスとロシアの中央アジアでの対立とは時代も地域も異なります。
ロシアは、18世紀後半にプロイセンやオーストリアとともにポーランド分割に参加しました。
しかし、これは東ヨーロッパでの領土拡大に関する出来事であり、イギリスとロシアが中央アジアで争ったグレート=ゲームを示す事例ではありません。
1878年のサン=ステファノ条約では、ロシアがオスマン帝国との戦争に勝利し、大きな領域を持つブルガリア公国が認められました。
その後、イギリスなどがロシアの影響力拡大を警戒したため、ベルリン会議が開かれ、ベルリン条約によってブルガリアの領土が縮小されました。
したがって、ブルガリアの領土を縮小したのはサン=ステファノ条約ではありません。
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