共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問30 (歴史総合,世界史探究(第5問) 問3)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問30(歴史総合,世界史探究(第5問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史探究の授業で、「経済活動と社会の変化」をテーマに、生徒たちが発表に向け準備している。次の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

3班は、ブルージーンズの歴史について調べ、ノート3とグラフを準備した。ノート3とグラフから読み取れる事柄や、そこから考えられることについて述べた文として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

ノート3
・初期メーカーの一つの創業者リーヴァイ=ストラウスは、1829年にバイエルンで生まれ、1847年に渡米して、兄らがニューヨークで営んでいた織物の卸売業に加わった。
・やがて彼は、サンフランシスコに目を付けて、1853年に同地で卸売業の会社を設立した。
・サンフランシスコでは、1848年の1年間で、1,000人程度から25,000人を超えるなど、人口が急増していた。
・1873年に、彼の会社は、生地の縫い目をリベット(締め釘(くぎ))で補強する特許を委託されて、ブルージーンズの製造と販売を始めた。
・カリフォルニアでは、19世紀後半に進んだ「交通革命」によって、農産物が東部へ出荷されるようになっていた。
問題文の画像
  • ストラウスが生まれて以後に、カリフォルニアはスペインから割譲された。
  • フロンティアの消滅が宣言された時点では、カリフォルニアの人口はまだ100万人に達していなかった。
  • ストラウスがサンフランシスコで会社を設立したのは、日米修好通商条約の締結によって対アジア貿易が拡大することに、商機を見いだしたからだと推測できる。
  • ストラウスの会社は、ホームステッド法や大陸横断鉄道開通による西部の人口増と販路の拡大から、需要を見込んで、ブルージーンズの製造と販売を始めたと推測できる。

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この過去問の解説 (2件)

01

リーヴァイ=ストラウスに関する問題です。

選択肢1. ストラウスが生まれて以後に、カリフォルニアはスペインから割譲された。

カリフォルニアは1848年にメキシコから割譲されたので、この選択肢は誤りです。

選択肢2. フロンティアの消滅が宣言された時点では、カリフォルニアの人口はまだ100万人に達していなかった。

フロンティアの消滅が宣言された1890年にカリフォルニアの人口は120万人に達しているので、この選択肢は誤りです。

選択肢3. ストラウスがサンフランシスコで会社を設立したのは、日米修好通商条約の締結によって対アジア貿易が拡大することに、商機を見いだしたからだと推測できる。

ストラウスがサンフランシスコで会社を設立したのは、1853年です。

日米修好通商条約の締結は1858年なので、この選択肢は誤りです。

選択肢4. ストラウスの会社は、ホームステッド法や大陸横断鉄道開通による西部の人口増と販路の拡大から、需要を見込んで、ブルージーンズの製造と販売を始めたと推測できる。

正しい選択肢です。

ストラウスの会社がブルージーンズの製造と販売を始めたのは1973年です。

ホームステッド法は1862年、大陸横断鉄道開通は1869年の出来事です。

 

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02

ホームステッド法によって西部への入植が進み、1869年には大陸横断鉄道が開通しました。

これによって西部では人口が増え、東西を結ぶ交通も便利になりました。

ブルージーンズの製造・販売が始まったのは1873年なので、こうした変化を背景に、丈夫な作業着への需要や販売地域の広がりを見込んだと考えることができます。

選択肢1. ストラウスが生まれて以後に、カリフォルニアはスペインから割譲された。

ストラウスが生まれたのは1829年です。

カリフォルニアを含む地域がアメリカ合衆国に渡ったのは1848年ですが、割譲したのはスペインではなくメキシコです。

アメリカ=メキシコ戦争後のグアダルーペ=イダルゴ条約によって、メキシコからアメリカ合衆国へカリフォルニアなどが割譲されました。

選択肢2. フロンティアの消滅が宣言された時点では、カリフォルニアの人口はまだ100万人に達していなかった。

フロンティアの消滅が示されたのは1890年です。

1890年の国勢調査では、カリフォルニアの人口は1,213,398人で、すでに100万人を超えていました。

選択肢3. ストラウスがサンフランシスコで会社を設立したのは、日米修好通商条約の締結によって対アジア貿易が拡大することに、商機を見いだしたからだと推測できる。

ストラウスがサンフランシスコで会社を設立したのは1853年です。

一方、日米修好通商条約が結ばれたのは1858年なので、会社設立より後です。

そのため、この条約による貿易拡大を見込んで1853年に会社を設立したとは考えられません。

ノートにあるように、当時のサンフランシスコではゴールドラッシュを背景に人口が急増していたことに注目する方が自然です。

選択肢4. ストラウスの会社は、ホームステッド法や大陸横断鉄道開通による西部の人口増と販路の拡大から、需要を見込んで、ブルージーンズの製造と販売を始めたと推測できる。

正解です。

 

ホームステッド法は1862年に成立し、西部への入植を進める大きなきっかけになりました。

また、1869年に大陸横断鉄道が開通し、人や物を東西へ運びやすくなりました。

その後の1873年に、ストラウスの会社はリベットで補強した丈夫なズボンの製造・販売を始めました。

西部には鉱山労働者や農民などが多く、丈夫な作業着への需要がありました。

鉄道の発達は商品を広い地域へ販売するうえでも役立ったと考えられます。

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