共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問31 (歴史総合,世界史探究(第5問) 問4)
問題文
世界史探究の授業で、「経済活動と社会の変化」をテーマに、生徒たちが発表に向け準備している。次の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
4班は、17~18世紀の東南アジアにおける交易の変化を調べ、パネルを作成した。パネル中の空欄( ウ )に入る港市の名と、( エ )に入る文との組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
パネル
・17世紀には、胡椒、ナツメグ、クローヴなどの香辛料が、東南アジア諸島部(島嶼部(とうしょぶ))の有力な輸出産品であった。オランダ東インド会社はこれらの産品の生産と交易の独占を試み、自身の交易拠点である( ウ )に一定程度流通を集中させた。
・18世紀には、中国での人口増と経済発展により、米などの食料、ナマコやフカヒレといった海産物、錫(すず)などが、中国市場で求められるようになった。これらの中国市場向け産品は、香辛料に代わる東南アジアの有力な輸出産品となったが、多くの地域で生産・収集が可能だった。そのため、より多くの港で交易されるようになった。
まとめ
17世紀と比べると、18世紀の東南アジア諸島部における現地産品の取引は、( エ )と考えられる。
4班は、17~18世紀の東南アジアにおける交易の変化を調べ、パネルを作成した。パネル中の空欄( ウ )に入る港市の名と、( エ )に入る文との組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
パネル
・17世紀には、胡椒、ナツメグ、クローヴなどの香辛料が、東南アジア諸島部(島嶼部(とうしょぶ))の有力な輸出産品であった。オランダ東インド会社はこれらの産品の生産と交易の独占を試み、自身の交易拠点である( ウ )に一定程度流通を集中させた。
・18世紀には、中国での人口増と経済発展により、米などの食料、ナマコやフカヒレといった海産物、錫(すず)などが、中国市場で求められるようになった。これらの中国市場向け産品は、香辛料に代わる東南アジアの有力な輸出産品となったが、多くの地域で生産・収集が可能だった。そのため、より多くの港で交易されるようになった。
まとめ
17世紀と比べると、18世紀の東南アジア諸島部における現地産品の取引は、( エ )と考えられる。
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問題
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共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問31(歴史総合,世界史探究(第5問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
世界史探究の授業で、「経済活動と社会の変化」をテーマに、生徒たちが発表に向け準備している。次の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
4班は、17~18世紀の東南アジアにおける交易の変化を調べ、パネルを作成した。パネル中の空欄( ウ )に入る港市の名と、( エ )に入る文との組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
パネル
・17世紀には、胡椒、ナツメグ、クローヴなどの香辛料が、東南アジア諸島部(島嶼部(とうしょぶ))の有力な輸出産品であった。オランダ東インド会社はこれらの産品の生産と交易の独占を試み、自身の交易拠点である( ウ )に一定程度流通を集中させた。
・18世紀には、中国での人口増と経済発展により、米などの食料、ナマコやフカヒレといった海産物、錫(すず)などが、中国市場で求められるようになった。これらの中国市場向け産品は、香辛料に代わる東南アジアの有力な輸出産品となったが、多くの地域で生産・収集が可能だった。そのため、より多くの港で交易されるようになった。
まとめ
17世紀と比べると、18世紀の東南アジア諸島部における現地産品の取引は、( エ )と考えられる。
4班は、17~18世紀の東南アジアにおける交易の変化を調べ、パネルを作成した。パネル中の空欄( ウ )に入る港市の名と、( エ )に入る文との組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
パネル
・17世紀には、胡椒、ナツメグ、クローヴなどの香辛料が、東南アジア諸島部(島嶼部(とうしょぶ))の有力な輸出産品であった。オランダ東インド会社はこれらの産品の生産と交易の独占を試み、自身の交易拠点である( ウ )に一定程度流通を集中させた。
・18世紀には、中国での人口増と経済発展により、米などの食料、ナマコやフカヒレといった海産物、錫(すず)などが、中国市場で求められるようになった。これらの中国市場向け産品は、香辛料に代わる東南アジアの有力な輸出産品となったが、多くの地域で生産・収集が可能だった。そのため、より多くの港で交易されるようになった。
まとめ
17世紀と比べると、18世紀の東南アジア諸島部における現地産品の取引は、( エ )と考えられる。
- ウ — マニラ エ — 一つの港に集中して行われるようになった
- ウ — マニラ エ — 様々な港に分散して行われるようになった
- ウ — バタヴィア エ — 一つの港に集中して行われるようになった
- ウ — バタヴィア エ — 様々な港に分散して行われるようになった
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この過去問の解説 (2件)
01
ウ には バタヴィア が当てはまります。
1619年から、オランダ東インド会社はバタヴィアを本拠地としました。
18世紀には、中国市場向け産品は多くの地域で生産・収集が可能だったので、より多くの港で交易されるようになりました。
エ には 様々な港に分散して行われるようになった が当てはまります。
よって、正解は ウ — バタヴィア エ — 様々な港に分散して行われるようになった になります。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
正しい選択肢です。
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02
17世紀、オランダ東インド会社は現在のインドネシアにあるバタヴィアをアジア交易の重要な拠点とし、香辛料の生産や交易を支配しようとしました。
一方、18世紀には中国向けの商品が多様になり、それらは東南アジアのさまざまな地域で生産・収集できたため、取引も様々な港に分散していきました。
正解です。
オランダ東インド会社は、17世紀にジャワ島のバタヴィアを重要な交易拠点としていました。
胡椒・ナツメグ・クローヴなどの香辛料交易を独占するため、商品の流通をバタヴィアなど自らが管理する場所へ集めようとしました。
ところが18世紀になると、中国の人口増加や経済発展を背景に、米・ナマコ・フカヒレ・錫などの需要が高まりました。
これらの商品は香辛料とは異なり、東南アジアの多くの地域で生産・収集できました。
そのため、特定の港だけではなく、様々な港で取引されるようになりました。
マニラはフィリピンにあり、スペインが支配した重要な港です。
中国産の絹や陶磁器などをメキシコ方面へ運ぶマニラ=ガレオン貿易の拠点として栄えました。
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