共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問36 (歴史総合,日本史探究(第1問) 問4)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問36(歴史総合,日本史探究(第1問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史総合の授業で、「歴史における旅とその役割」という主題を設定し、探究した。次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

博物館での見学を終えたのち、2班は指導者の旅に着目し、先生と感想を述べ合っている。

樋口:展示を見学して、宗教上の聖地に旅をすることにより、多くの人々が結び付いていたことが分かりました。
先生:そうですね。他方で歴史上、特定の個人が旅をすることによって、地域や人々を結び付けようとする動きもあります。
馬島:私は、20世紀初頭にユーラシア世界を旅したイスラーム指導者、イブラヒムに興味を持ち、経路を地図にしてみました。イブラヒムは、ムスリムが連帯することで列強に対抗できると考え、ユーラシア各地に赴きました。
樋口:私は、チベットの宗教的、政治的指導者であるa ダライ=ラマ13世が、1904年から1913年にかけて、各地を移動していることに着目しました。この旅は、イギリス、ロシア、清など、大国の思惑に翻弄されるものでした。しかし、チベットに戻ったダライ=ラマ13世は、1913年に、チベット仏教信仰を共有するモンゴルと相互に独立を確認する条約を結び、のちに独立宣言と称される布告を出すに至ります。旅を通じて、ダライ=ラマ13世はチベットの独立の必要性を見いだしたのではないでしょうか。
先生:指導者やb 王族・皇族の旅は、その時の外交関係と関連していることがあります。それを示す歴史的事例を考えてみましょう。

下線部aに関連して、樋口さんは、ダライ=ラマ13世の旅をノート1にまとめた。ノート1中の空欄( ウ )に入る語句あ・いと、ノート1のように、イギリスがダライ=ラマ13世の要求を拒否する根拠となった資料X・Yとについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

ノート1
・1904年、英領インド軍がチベットに侵入すると、ダライ=ラマ13世はモンゴルに逃れ、ロシアに援助を求めるが、実現しなかった。
・1908年、北京で光緒帝と会見したが、冷遇された。
・1909年、本拠地のラサに戻った。
・1910年、ラサに清軍が迫り、英領インドに逃れた。ダライ=ラマ13世は、イギリスに支援を求めたが、イギリスはロシアとの取決めに基づき、要求を拒否した。
・1913年、( ウ )を経て当時の中国の軍隊も撤退したため、ラサに帰還した。

( ウ )に入る語句
あ  辛亥革命
い  西安事件

資料
X  「香港一島をイギリスに与え、以後永きにわたってここを主管し、任意に制度や法をつくり、治めていくことを、皇帝はお許しになった。」
Y  「両国は、イランにおけるそれぞれの利益に関するあらゆる対立の動機を回避することを希求して、以下の事項について合意した。」
  • あ — X
  • あ — Y
  • い — X
  • い — Y

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