共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問45 (歴史総合,日本史探究(第2問) 問5)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問45(歴史総合,日本史探究(第2問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

カオルさんとシュンさんは、日本における争いごとの裁定や法の整備の歴史について調べることにした。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

カオル:日本の古代国家は律令国家とも呼ばれるように、唐の律が盛んに参照されていたみたいだね。
シュン:江戸時代の公事方御定書も明や清の律を参照しているらしいね。c 公事方御定書では、裁判や刑罰の基準が定められ、死刑の適用範囲が狭められたっていうよ。
カオル:公事方御定書の後、明治初期に制定された新律綱領や改定律例も、中国法の影響を十分には脱しきれていなかったようだね。
シュン:1880年にフランスに倣った旧刑法が、1889年に大日本帝国憲法が公布される。この過程で罪刑法定主義が日本の法体系に位置付けられていくらしいよ。
カオル:なるほどね。ところで、罪刑法定主義って簡単にいうとどういうこと?
シュン:何を犯罪とみなし、どの犯罪行為にはどのような処罰が相当かを、明文規定を設けて公開する。そして、法令の根拠なしに犯罪として処罰できないことを大きな原則としているよ。
カオル:とはいえ、法律さえ作ってしまえば、何でも処罰できるということになってしまわないかな。
シュン:基本的人権の尊重が必要だね。

会話文も参考にしながら、法の整備や争いごとの裁定について述べた文として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
  • 古代に律令が制定された後も、争いごとの裁定に呪術的な方法が用いられることがあった。
  • 鎌倉時代には、荘園の百姓たちが、地頭の非法に対して荘園領主への訴えを起こした事例がある。
  • 日本において、古代から江戸時代に至るまでの法は、たびたび中国法の影響を受けた。
  • 立憲政友会内閣は、選挙権拡張を決定すると同時に、私有財産を否定する組織の指導者を死刑にもできるように法律を改正した。

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