共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問52 (歴史総合,日本史探究(第4問) 問2)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問52(歴史総合,日本史探究(第4問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)

モリオさんとミドリさんは、中世の歌人に興味を持ち、藤原定家について調べることにした。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

モリオ:藤原定家といえば、鎌倉時代初期の貴族だよね。競技かるたで使われる『百人一首』の編者と考えられているよね。
ミドリ:最近は違う意見も出てきているんだって。

資料  藤原定家の日記『明月記』1235年5月27日条
下野国の御家人である宇都宮頼綱が、自らの別荘に飾るための色紙を、私(藤原定家)に書いてほしいと熱心に申し入れてきたので、私は書の専門家ではなく気が進まないことではあるが、筆をとって色に和歌を書いて頼綱のもとに送った。古くは天智天皇から藤原家隆・雅経(注)まで、歌人一人につき、一首ずつ選んだ。
(注) 藤原家隆・雅経:定家と同時期に活躍した歌人。

モリオ:図は、定家の父親で歌人としても有名な俊成から始まる「和歌の家」の系図だね。
ミドリ:中世になると、特定の家が家職として、和歌・書などの芸能や朝廷の仕事を分担・独占するよね。摂政や関白も、藤原氏の( ア )の流れをくむ藤原道長の子孫の家が継承しているから、家職とも考えられるね。
モリオ:( イ )も武芸を家職にしたと言えるね。その( イ )の中から、後に武家の棟梁が登場するんだよね。
ミドリ:次に資料を見てよ。
モリオ:この資料は、定家が『百人一首』を編集した根拠とされているよね。宇都宮頼綱は、歌人としても知られているね。
ミドリ:ところが最近、資料に出てくる色紙の和歌は、『百人秀歌』のものだという説があるんだ。
モリオ:a 『百人秀歌』というのは、初めて聞く名前だな。

会話文も参考にしながら、図・資料に関して述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
問題文の画像
  • 藤原定家の異父兄弟に、正風連歌を確立した人物がいる。
  • 御家人の娘が貴族の息子と婚姻関係を結ぶことがあった。
  • 冷泉為相の母は、かなを主に用いて『土佐日記』を記した。
  • 藤原定家は、色紙に書く和歌を、勅撰和歌集の編集が始まった時期以後に詠まれたものに限った。

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この過去問の解説 (3件)

01

藤原定家の資料と系図に関して述べた文として最も適当なものを選ぶ問題です。

 

選択肢1. 藤原定家の異父兄弟に、正風連歌を確立した人物がいる。

誤り
藤原定家の異父兄弟は藤原隆信で、似絵の名手として知られています。
正風連歌を確立した人物は15世紀の宗祇です。

選択肢2. 御家人の娘が貴族の息子と婚姻関係を結ぶことがあった。

正しい
系図から、御家人である宇都宮頼綱の娘と貴族の息子である定家の息子が婚姻関係にあることが分かります。
宇都宮頼綱が下野の御家人であることは資料に書かれています。

選択肢3. 冷泉為相の母は、かなを主に用いて『土佐日記』を記した。

誤り
かなを主に用いて『土佐日記』を記したのは紀貫之です。
冷泉為相の母である阿仏尼は、『十六夜日記』の作者として知られています。

選択肢4. 藤原定家は、色紙に書く和歌を、勅撰和歌集の編集が始まった時期以後に詠まれたものに限った。

誤り
最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が成立したのは905年です。資料によると、色紙に書く和歌には7世紀の人物である天智天皇の和歌も含まれると書かれているので、勅撰和歌集の編集が始まった時期以後に詠まれたものに限ったとはいえません。

 

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02

藤原定家に関する問題です。

選択肢1. 藤原定家の異父兄弟に、正風連歌を確立した人物がいる。

正風連歌を確立した人物は、室町時代後期の宗祇です。

藤原隆信は、似絵の名手として知られています。

この選択肢は誤りです。

選択肢2. 御家人の娘が貴族の息子と婚姻関係を結ぶことがあった。

正しい選択肢です。

図から、貴族である藤原定家の息子の為家が、御家人である宇都宮頼綱の娘と婚姻関係にあることが分かります。

選択肢3. 冷泉為相の母は、かなを主に用いて『土佐日記』を記した。

かなを主に用いて『土佐日記』を記したのは、紀貫之です。

冷泉為相の母阿仏尼は、『十六夜日記』の作者として知られています。

この選択肢は誤りです。

選択肢4. 藤原定家は、色紙に書く和歌を、勅撰和歌集の編集が始まった時期以後に詠まれたものに限った。

最初の勅撰和歌集は『古今和歌集』で、905年に成立しました。

色紙に書く和歌には、7世紀に実在した天智天皇の和歌も含まれています。

この選択肢は誤りです。

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03

図の系図を見ると、下野国の御家人であった宇都宮頼綱の娘が、藤原定家の子である藤原為家と結婚しています。

このことから、鎌倉時代には武士の家と京都の貴族の家との間に婚姻関係が結ばれることがあったと分かります。

選択肢1. 藤原定家の異父兄弟に、正風連歌を確立した人物がいる。

正風連歌を確立した人物として知られるのは、南北朝時代の二条良基です。

二条良基は藤原定家の異父兄弟ではありません。

また、定家より後の時代に活躍した人物なので、この説明は合いません。

選択肢2. 御家人の娘が貴族の息子と婚姻関係を結ぶことがあった。

正解です。

 

図では、御家人である宇都宮頼綱の娘と、藤原定家の子である藤原為家が婚姻関係を結んでいます。

宇都宮頼綱は鎌倉幕府の御家人で、藤原定家の家は京都の貴族です。

そのため、武士の家の娘と貴族の家の息子が結婚することがあったと読み取れます。

武士と貴族は完全に別々の世界にいたわけではなく、婚姻や和歌などを通して結び付くこともありました。

選択肢3. 冷泉為相の母は、かなを主に用いて『土佐日記』を記した。

冷泉為相の母は阿仏尼です。

阿仏尼は、鎌倉へ向かう旅などを記した『十六夜日記』で知られています。

一方、『土佐日記』を書いたのは紀貫之です。

選択肢4. 藤原定家は、色紙に書く和歌を、勅撰和歌集の編集が始まった時期以後に詠まれたものに限った。

資料には、定家が天智天皇から藤原家隆・雅経までの歌人から、一人一首ずつ選んだとあります。

最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が成立したのは10世紀初めですが、天智天皇は7世紀の人物です。

つまり、定家は勅撰和歌集の編集が始まるより前の時代の歌人の和歌も選んでいます。

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