共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問53 (歴史総合,日本史探究(第4問) 問3)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問53(歴史総合,日本史探究(第4問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

モリオさんとミドリさんは、中世の歌人に興味を持ち、藤原定家について調べることにした。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

モリオ:藤原定家といえば、鎌倉時代初期の貴族だよね。競技かるたで使われる『百人一首』の編者と考えられているよね。
ミドリ:最近は違う意見も出てきているんだって。

資料  藤原定家の日記『明月記』1235年5月27日条
下野国の御家人である宇都宮頼綱が、自らの別荘に飾るための色紙を、私(藤原定家)に書いてほしいと熱心に申し入れてきたので、私は書の専門家ではなく気が進まないことではあるが、筆をとって色に和歌を書いて頼綱のもとに送った。古くは天智天皇から藤原家隆・雅経(注)まで、歌人一人につき、一首ずつ選んだ。
(注) 藤原家隆・雅経:定家と同時期に活躍した歌人。

モリオ:図は、定家の父親で歌人としても有名な俊成から始まる「和歌の家」の系図だね。
ミドリ:中世になると、特定の家が家職として、和歌・書などの芸能や朝廷の仕事を分担・独占するよね。摂政や関白も、藤原氏の( ア )の流れをくむ藤原道長の子孫の家が継承しているから、家職とも考えられるね。
モリオ:( イ )も武芸を家職にしたと言えるね。その( イ )の中から、後に武家の棟梁が登場するんだよね。
ミドリ:次に資料を見てよ。
モリオ:この資料は、定家が『百人一首』を編集した根拠とされているよね。宇都宮頼綱は、歌人としても知られているね。
ミドリ:ところが最近、資料に出てくる色紙の和歌は、『百人秀歌』のものだという説があるんだ。
モリオ:a 『百人秀歌』というのは、初めて聞く名前だな。

下線部aに関連して、二人は調べたことをノートにまとめた。ノートに関して述べた文あ・いの正誤の組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

ノート
・藤原定家は勅撰和歌集の編集を回担当した。個人でも複数の和歌集を編集し、『百人秀歌』はそのうちの一つである。
・『百人秀歌』『百人一首』には、それらの編集以前に勅撰和歌集に採用された和歌のみが選ばれている。
・多くの歌は『百人秀歌』『百人一首』に共通して収められているが、後鳥羽上皇と順徳上皇の和歌は、『百人一首』のみに収められている。この首は定家没後に編集された勅撰和歌集に初めて収められた。

あ  藤原定家が編集した勅撰和歌集に、後鳥羽上皇の命で作られた『新古今和歌集』がある。
い  ノートからは、『百人一首』は藤原定家の存命中に完成したものではないと考えられる。
問題文の画像
  • あ — 正  い — 正
  • あ — 正  い — 誤
  • あ — 誤  い — 正
  • あ — 誤  い — 誤

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この過去問の解説 (3件)

01

『百人秀歌』に関して述べた文の正誤の組み合わせとして正しいものを選ぶ問題です。藤原定家が『百人一首』の編者であるかを『百人秀歌』から考察する内容になっています。

 

あ — 正  
藤原定家は『新古今和歌集』と『新勅撰和歌集』の二つの勅撰和歌集で撰者になりました。『新古今和歌集』は後鳥羽上皇の命によって編纂された勅撰和歌集です。


い — 正 
『百人秀歌』と『百人一首』は多くの歌が共通していますが、藤原定家存命中には勅撰和歌集に収められなかった後鳥羽上皇と順徳上皇の歌は『百人一首』にのみ収められています。このことから、『百人一首』は定家没後のものであると考えられます。

 

よって、 あ — 正  い — 正 が正しい組合せとなります。

 

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02

あ  藤原定家が編集した勅撰和歌集に、後鳥羽上皇の命で作られた『新古今和歌集』がある。

正しい文章です。

『新古今和歌集』は、1216年頃に完成しました。

 

い  ノートからは、『百人一首』は藤原定家の存命中に完成したものではないと考えられる。

正しい文章です。

ノートから、『百人一首』が定家没後に編集された勅撰和歌集であることが分かります。

 

よって、正解は あ — 正  い — 正 になります。

選択肢1. あ — 正  い — 正

正しい選択肢です。

選択肢2. あ — 正  い — 誤

誤った選択肢です。

選択肢3. あ — 誤  い — 正

誤った選択肢です。

選択肢4. あ — 誤  い — 誤

誤った選択肢です。

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03

藤原定家は、後鳥羽上皇の命によって編集された『新古今和歌集』の撰者の一人です。

また、ノートによると、『百人一首』にだけ収められている後鳥羽上皇・順徳上皇の和歌は、定家の死後に編集された勅撰和歌集に初めて採用されています。

そのため、このノートの内容からは、現在の形の『百人一首』は定家の死後に完成した可能性があると考えられます。

選択肢1. あ — 正  い — 正

正解です。

 

「あ」

これは正しい内容です。

『新古今和歌集』は、鎌倉時代初期に後鳥羽上皇の命によって編集された勅撰和歌集です。

藤原定家は、藤原家隆などとともに撰者の一人に選ばれ、和歌の選定に関わりました。

定家は当時を代表する歌人であり、『新古今和歌集』の編集にも重要な役割を果たしました。

 

「い」

これも正しい内容です。

ノートには、『百人秀歌』と『百人一首』の多くの歌が共通している一方、後鳥羽上皇と順徳上皇の歌は『百人一首』だけに入っているとあります。

さらに、その2首は、藤原定家が亡くなった後に編集された勅撰和歌集に初めて収められたとされています。

ノートでは、『百人一首』には、それ以前に勅撰和歌集に採用された和歌が選ばれていると説明されています。そのため、この条件に従って考えると、後鳥羽上皇と順徳上皇の歌が加えられた現在の形の『百人一首』は、定家の死後に成立した可能性があると考えられます。

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