共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問54 (歴史総合,日本史探究(第4問) 問4)
問題文
モリオさんとミドリさんは、中世の歌人に興味を持ち、藤原定家について調べることにした。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
モリオ:定家の孫の代に、二条・京極・冷泉の三つの家に分かれているね。
ミドリ:いずれも和歌の家として家職を受け継いで、競い合っていたけれど、やがて二条家と京極家は断絶したんだ。
モリオ:b 鎌倉幕府が滅亡するなど、政治の混乱と戦争が続く時代のなかで、残ったのは冷泉家だけなんだね。
ミドリ:戦国時代の冷泉為和は、1531年以降には京都を離れて、1549年に亡くなるまで、主に駿府に滞在しながら、c 各地に赴いて大名や武士たちに和歌を教授したことが知られているよ。交流を生かして和平の仲介をする使者などを務めることもあったらしい。
下線部bの時代に起こった出来事Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
Ⅰ 幕府は、軍費調達のために近江・美濃・尾張の守護に対して、国ごとに荘園・公領の年貢の半分を徴収することを認めた。
Ⅱ 将軍の執事であった高師直と、将軍の弟であった足利直義との間で武力抗争が始まった。
Ⅲ 北条高時の子が鎌倉幕府再興を目指して蜂起し、鎌倉を一時占領した。
モリオ:定家の孫の代に、二条・京極・冷泉の三つの家に分かれているね。
ミドリ:いずれも和歌の家として家職を受け継いで、競い合っていたけれど、やがて二条家と京極家は断絶したんだ。
モリオ:b 鎌倉幕府が滅亡するなど、政治の混乱と戦争が続く時代のなかで、残ったのは冷泉家だけなんだね。
ミドリ:戦国時代の冷泉為和は、1531年以降には京都を離れて、1549年に亡くなるまで、主に駿府に滞在しながら、c 各地に赴いて大名や武士たちに和歌を教授したことが知られているよ。交流を生かして和平の仲介をする使者などを務めることもあったらしい。
下線部bの時代に起こった出来事Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
Ⅰ 幕府は、軍費調達のために近江・美濃・尾張の守護に対して、国ごとに荘園・公領の年貢の半分を徴収することを認めた。
Ⅱ 将軍の執事であった高師直と、将軍の弟であった足利直義との間で武力抗争が始まった。
Ⅲ 北条高時の子が鎌倉幕府再興を目指して蜂起し、鎌倉を一時占領した。
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問題
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共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問54(歴史総合,日本史探究(第4問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
モリオさんとミドリさんは、中世の歌人に興味を持ち、藤原定家について調べることにした。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
モリオ:定家の孫の代に、二条・京極・冷泉の三つの家に分かれているね。
ミドリ:いずれも和歌の家として家職を受け継いで、競い合っていたけれど、やがて二条家と京極家は断絶したんだ。
モリオ:b 鎌倉幕府が滅亡するなど、政治の混乱と戦争が続く時代のなかで、残ったのは冷泉家だけなんだね。
ミドリ:戦国時代の冷泉為和は、1531年以降には京都を離れて、1549年に亡くなるまで、主に駿府に滞在しながら、c 各地に赴いて大名や武士たちに和歌を教授したことが知られているよ。交流を生かして和平の仲介をする使者などを務めることもあったらしい。
下線部bの時代に起こった出来事Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
Ⅰ 幕府は、軍費調達のために近江・美濃・尾張の守護に対して、国ごとに荘園・公領の年貢の半分を徴収することを認めた。
Ⅱ 将軍の執事であった高師直と、将軍の弟であった足利直義との間で武力抗争が始まった。
Ⅲ 北条高時の子が鎌倉幕府再興を目指して蜂起し、鎌倉を一時占領した。
モリオ:定家の孫の代に、二条・京極・冷泉の三つの家に分かれているね。
ミドリ:いずれも和歌の家として家職を受け継いで、競い合っていたけれど、やがて二条家と京極家は断絶したんだ。
モリオ:b 鎌倉幕府が滅亡するなど、政治の混乱と戦争が続く時代のなかで、残ったのは冷泉家だけなんだね。
ミドリ:戦国時代の冷泉為和は、1531年以降には京都を離れて、1549年に亡くなるまで、主に駿府に滞在しながら、c 各地に赴いて大名や武士たちに和歌を教授したことが知られているよ。交流を生かして和平の仲介をする使者などを務めることもあったらしい。
下線部bの時代に起こった出来事Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
Ⅰ 幕府は、軍費調達のために近江・美濃・尾張の守護に対して、国ごとに荘園・公領の年貢の半分を徴収することを認めた。
Ⅱ 将軍の執事であった高師直と、将軍の弟であった足利直義との間で武力抗争が始まった。
Ⅲ 北条高時の子が鎌倉幕府再興を目指して蜂起し、鎌倉を一時占領した。
- Ⅰ — Ⅱ — Ⅲ
- Ⅰ — Ⅲ — Ⅱ
- Ⅱ — Ⅰ — Ⅲ
- Ⅱ — Ⅲ — Ⅰ
- Ⅲ — Ⅰ — Ⅱ
- Ⅲ — Ⅱ — Ⅰ
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この過去問の解説 (3件)
01
鎌倉幕府滅亡から南北朝時代に起こった出来事を古いものから年代順に並べる問題です。
Ⅰは1352年に足利尊氏によって出された半済令です。観応の擾乱が続く中での軍備調達策として出されました。
Ⅱは1349年に始まった観応の擾乱です。将軍・足利尊氏の執事である高師直と、尊氏の弟である足利直義が対立したことから起こった内乱です。
Ⅲは1335年の中先代の乱です。鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の子である時行が鎌倉幕府再興を目指して蜂起し、鎌倉将軍府を破って鎌倉を一時占領しました。
よって、 Ⅲ — Ⅱ — Ⅰ が正解になります。
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02
Ⅰ 幕府は、軍費調達のために近江・美濃・尾張の守護に対して、国ごとに荘園・公領の年貢の半分を徴収することを認めた。
1352年に足利尊氏によって出された半済令に関する記述です。
Ⅱ 将軍の執事であった高師直と、将軍の弟であった足利直義との間で武力抗争が始まった。
1349年の出来事です。観応の擾乱(1350-52年)のきっかけとなりました。
Ⅲ 北条高時の子が鎌倉幕府再興を目指して蜂起し、鎌倉を一時占領した。
1335年の中先代の乱に関する記述です。
よって、正解は Ⅲ — Ⅱ — Ⅰ になります。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
誤った選択肢です。
正しい選択肢です。
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03
Ⅲは1335年の中先代の乱、Ⅱは1349年ごろから始まった観応の擾乱、Ⅰは1352年に出された半済令に関する出来事です。
正解です。
「Ⅰ」
これは1352年の半済令について述べています。
南北朝の争いが続く中、室町幕府は軍費を確保する必要がありました。
そこで、近江・美濃・尾張の守護に対し、荘園や公領の年貢の半分を兵糧として徴収することを認めました。
この制度は、守護が荘園や公領への支配を強めていくきっかけにもなりました。
「Ⅱ」
これは観応の擾乱について述べています。
室町幕府では、将軍足利尊氏を支えた高師直と、尊氏の弟で幕府政治を担っていた足利直義が対立しました。
対立はしだいに激しくなり、1349年ごろから武力抗争へ発展しました。
幕府内部の争いが、南北朝の動乱をさらに複雑にしました。
「Ⅲ」
これは1335年の中先代の乱です。
鎌倉幕府最後の執権であった北条高時の子、北条時行が鎌倉幕府の再興を目指して兵を挙げました。
北条時行は一時、鎌倉を占領しましたが、足利尊氏によって鎮圧されました。
3つの出来事の中では、これが最も古いものです。
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