共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問55 (歴史総合,日本史探究(第4問) 問5)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問55(歴史総合,日本史探究(第4問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

モリオさんとミドリさんは、中世の歌人に興味を持ち、藤原定家について調べることにした。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

モリオ:定家の孫の代に、二条・京極・冷泉の三つの家に分かれているね。
ミドリ:いずれも和歌の家として家職を受け継いで、競い合っていたけれど、やがて二条家と京極家は断絶したんだ。
モリオ:b 鎌倉幕府が滅亡するなど、政治の混乱と戦争が続く時代のなかで、残ったのは冷泉家だけなんだね。
ミドリ:戦国時代の冷泉為和は、1531年以降には京都を離れて、1549年に亡くなるまで、主に駿府に滞在しながら、c 各地に赴いて大名や武士たちに和歌を教授したことが知られているよ。交流を生かして和平の仲介をする使者などを務めることもあったらしい。

下線部cに関連して、地図は冷泉為和が1531年以降に滞在したことが確認できる場所を記したものである。地図から読み取れることや戦国時代の文化・社会に関連して述べた文あ~えについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

あ  冷泉為和が滞在したことが確認できる場所のなかには、戦国大名の本拠地がある。
い  冷泉為和は、会合衆と呼ばれる豪商の合議で市政が運営されていた町に滞在したことが分かる。
う  各地の戦国大名たちの京文化への憧れや古典学習への意欲に応じて、公家や僧侶が各地で和歌や儒学などの講義を行った。
え  越前国の永平寺や紀伊国の金剛峯寺などには、それぞれの寺を中心とする寺内町が形成された。
問題文の画像
  • あ・う
  • あ・え
  • い・う
  • い・え

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この過去問の解説 (3件)

01

冷泉為和が滞在した場所を示す地図から読み取れることや戦国時代の文化・社会に関連して述べた文のうち正しい組合せを選ぶ問題です。

 

あ 正しい
駿府は今川氏、甲府は武田氏、小田原は北条氏、七尾は能登畠山氏の本拠地です。

 

い 誤り
会合衆と呼ばれる有力商人の合議によって自治を行った町とは堺です。冷泉為和の滞在地を記した地図に堺は含まれていません。

 

う 正しい
京文化に憧れを持つとともに教養を身につけたい戦国大名は、戦乱で荒廃した京都を離れた公家や僧侶を招いて和歌や儒学を学びました。

 

え 誤り
寺内町は浄土真宗の寺院を中心に形成された町です。永平寺は曹洞宗、金剛峯寺は真言宗の寺院なので違います。


よって、 あ・う が正しい組合せとなります。

 

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02

あ  冷泉為和が滞在したことが確認できる場所のなかには、戦国大名の本拠地がある。

正しい選択肢です。

小田原城は、北条氏政の本拠地です。

武田信玄の本拠地である躑躅ヶ崎館は、甲府にあります。

駿府今川館は、今川義元の本拠地です。

 

い  冷泉為和は、会合衆と呼ばれる豪商の合議で市政が運営されていた町に滞在したことが分かる。

会合衆は、堺や伊勢大湊などが有名です。冷泉為和が滞在した場所には含まれていません。

この選択肢は誤りです。

 

う  各地の戦国大名たちの京文化への憧れや古典学習への意欲に応じて、公家や僧侶が各地で和歌や儒学などの講義を行った。

正しい選択肢です。

冷泉為和は公家で、歌人でもありました。

 

え  越前国の永平寺や紀伊国の金剛峯寺などには、それぞれの寺を中心とする寺内町が形成された。

寺内町は、富田林や石山本願寺などの浄土真宗派が有名です。

曹洞宗の永平寺は門前町です。真言宗の金剛峯寺の境内は、高野山全体に当たりますが、寺内町ではありません。

この選択肢は誤りです。

 

よって、正解は あ・う になります。

選択肢1. あ・う

正しい選択肢です。

選択肢2. あ・え

誤った選択肢です。

選択肢3. い・う

誤った選択肢です。

選択肢4. い・え

誤った選択肢です。

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03

この問題では、冷泉為和の移動と、戦国時代に京都の文化が地方へ広がったことを結び付けて考えることが大切です。

選択肢1. あ・う

正解です。

 

「あ」 

これは正しい内容です。

地図には、冷泉為和が滞在した場所として駿府が示されています。

駿府は、戦国大名の今川氏の本拠地でした。今川氏は駿河を支配し、駿府を政治・文化の中心としていました。

実際に冷泉為和は駿府に長く滞在し、今川氏の人々とも和歌を通じて交流しています。

 

「い」

これは誤りです。

戦国時代に会合衆と呼ばれる有力商人たちが合議によって自治を行った町は堺です。

堺市の資料でも、15世紀後半以降、会合衆が自治政治や経済について話し合っていたことが確認できます。

しかし、地図に示されている冷泉為和の滞在地は、京都・坂本・七尾・甲府・駿府・小田原・熱海などで、堺は含まれていません。

 

「う」

これは正しい内容です。

戦国時代には、京都の文化を学ぼうとする地方の武士が増え、公家や僧侶、連歌師などが地方へ移動して、和歌や学問を伝えました。

国立歴史民俗博物館の資料でも、中世には和歌が中央・地方の武士や僧侶などへ広がり、公家や連歌師が各地を往来したことが説明されています。

冷泉為和が各地の大名や武士に和歌を教えたことも、このような京都の文化が地方へ広がった動きの一例です。

 

「え」

これは誤りです。

寺内町は、戦国時代に主として浄土真宗の寺院を中心につくられた町です。

寺を中心として信者や商工業者などが集まり、自治的な町を形成しました。

永平寺は曹洞宗、金剛峯寺は真言宗の寺院であり、ここでいう代表的な寺内町の例には当たりません。

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