共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問56 (歴史総合,日本史探究(第5問) 問1)

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問題

共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問56(歴史総合,日本史探究(第5問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

リンさんとカヨさんは、江戸時代の人々が世界のことをどのように知ったのかという点に興味を持った。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)

リン:江戸時代の対外関係は「鎖国」と呼ばれるようになるよね。日本人の海外渡航は禁じられたし、貿易も幕府が統制したから、海外の情報は入ってこなかったのではないかな。
カヨ:でも、a 貿易は統制されたけれども、様々な交流や情報伝達はあったと思うよ。
リン:なるほど。そういえば、新井白石は、日本に潜入した宣教師を尋問して得た知識などを基に世界各国の情報を記した『采覧異言』を著しているね。人々は、このような書物を通して海外の情勢や知識を得ることができたのかもね。
カヨ:『采覧異言』を基にして、19世紀初頭に山村昌永という人物が書いた『訂正増訳采覧異言』という書物があるよ。昌永は、『采覧異言』の本文に自分の研究成果を文章で挿入して訂正したようだ。
リン:『訂正増訳采覧異言』で追加された国別の記載分量を比較してみたよ。b 昌永が記載を大きく増やした国と、あまり増やさなかった国があるね。記載分量の違いには、日本と各国との関係の深まりや交流の有無が影響しているんだね。
カヨ:ところで『采覧異言』が書かれたときから『訂正増訳采覧異言』成立までの間には様々なことが起こっているね。例えば、c 徳川吉宗が漢訳洋書の輸入に関する規制を緩和したり、オランダ語を学ばせたりしたことで、蘭学と呼ばれる学問が盛んになったみたいだよ。

下線部aに関連して、江戸時代の対外関係について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
  • 大名や豪商による貿易船が東南アジア各地に進出していたが、江戸幕府の成立と同時に渡航が禁じられた。
  • オランダ船が長崎に来航すると、商館長は海外の情報を記した報告書を幕府に提出することになっていた。
  • 中国と朝貢関係にあった琉球王国は、薩摩藩の支配下に置かれると、幕府によって中国との関係を途絶させられた。
  • 金の産出量が次第に減少したため、新井白石は、長崎貿易の額を制限しつつ、主要な輸出品を金から銀に切り替えていった。

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この過去問の解説 (3件)

01

江戸時代の対外関係について述べた文として正しいものを選ぶ問題です。

 

選択肢1. 大名や豪商による貿易船が東南アジア各地に進出していたが、江戸幕府の成立と同時に渡航が禁じられた。

 誤り
江戸時代初期には幕府公認である朱印船貿易が行われていました。
海外渡航が禁じられたのは1635年なので、江戸幕府の成立と同時に渡航が禁じられてはいません。

 

 

選択肢2. オランダ船が長崎に来航すると、商館長は海外の情報を記した報告書を幕府に提出することになっていた。

正しい
オランダ商館長(カピタン)が幕府に提出する報告書のことをオランダ風説書といい、貿易が統制されても海外の情報が入ってきたという下線部の内容とも合っています。

 

 

選択肢3. 中国と朝貢関係にあった琉球王国は、薩摩藩の支配下に置かれると、幕府によって中国との関係を途絶させられた。

誤り
琉球王国は侵攻を受けて薩摩藩の支配下に置かれましたが、その後も中国との朝貢関係は続きました。

 

 

選択肢4. 金の産出量が次第に減少したため、新井白石は、長崎貿易の額を制限しつつ、主要な輸出品を金から銀に切り替えていった。

誤り
新井白石は金銀の海外流出を防ぐために1715年に海舶互市新例を出して、長崎貿易の額を制限しました。その後、輸出の主力は銅・俵物へ移っていったので、金から銀に切り替えてはいません。

 

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02

江戸時代の対外関係に関する問題です。

選択肢1. 大名や豪商による貿易船が東南アジア各地に進出していたが、江戸幕府の成立と同時に渡航が禁じられた。

江戸幕府公認の海外貿易である朱印船貿易は、1604年から1635年まで続きました。

江戸幕府の成立と同時に渡航が禁じられたのではないので、この選択肢は誤りです。

選択肢2. オランダ船が長崎に来航すると、商館長は海外の情報を記した報告書を幕府に提出することになっていた。

正しい選択肢です。

1641年頃から本格化したオランダ風説書に関する記述です。

選択肢3. 中国と朝貢関係にあった琉球王国は、薩摩藩の支配下に置かれると、幕府によって中国との関係を途絶させられた。

琉球王国は、1609年に薩摩藩の支配下に置かれましたが、同時に中国の冊封国でもあり続けました。

この選択肢は誤りです。

 

 

選択肢4. 金の産出量が次第に減少したため、新井白石は、長崎貿易の額を制限しつつ、主要な輸出品を金から銀に切り替えていった。

新井白石は1715年に海舶互市新例を出して、長崎貿易の額を制限しました。その結果、金銀の流出を抑制することに成功しました。主要な輸出品を金から銀に切り替えていったのではないので、この選択肢は誤りです。

 

 

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03

江戸幕府は海外との貿易や日本人の渡航を厳しく管理しましたが、海外との交流や情報の流入が完全になくなったわけではありません。

長崎ではオランダとの貿易が続けられ、オランダ商館長から幕府へ、海外の出来事を記したオランダ風説書が提出されていました。

選択肢1. 大名や豪商による貿易船が東南アジア各地に進出していたが、江戸幕府の成立と同時に渡航が禁じられた。

江戸時代初期には、日本の商人などが朱印船で東南アジア各地へ渡航していました。

幕府も朱印状を発行して海外貿易を認めていました。

日本人の海外渡航や帰国が禁止されていったのは、幕府成立と同時ではなく、1630年代のいわゆる鎖国政策が整えられていく過程です。

選択肢2. オランダ船が長崎に来航すると、商館長は海外の情報を記した報告書を幕府に提出することになっていた。

正解です。

江戸幕府はオランダとの貿易を長崎で認めていました。

オランダ商館長は、海外で起こった出来事や国際情勢などをまとめたオランダ風説書を幕府に提出しました。

つまり、「鎖国」と呼ばれる対外政策のもとでも、幕府は外国から情報を得ていました。

問題文にある「貿易は統制されたけれども、様々な交流や情報伝達はあった」という内容にも合っています。

選択肢3. 中国と朝貢関係にあった琉球王国は、薩摩藩の支配下に置かれると、幕府によって中国との関係を途絶させられた。

琉球王国は1609年に薩摩藩の侵攻を受け、その支配を受けるようになりました。

しかし、その後も中国との朝貢関係は続きました。

薩摩藩や幕府にとっても、琉球と中国との関係を通じて中国の品物や情報を得られる利点がありました。

選択肢4. 金の産出量が次第に減少したため、新井白石は、長崎貿易の額を制限しつつ、主要な輸出品を金から銀に切り替えていった。

新井白石は、金銀が海外へ大量に流出することを問題と考え、海舶互市新例(長崎新令)を出して長崎貿易を制限しました。

しかし、主要な輸出品を金から銀へ切り替えたという説明は違います。

江戸時代には金や銀の産出量が減少すると、輸出品として銅や俵物などの重要性が高まっていきました。

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