共通テスト(地理歴史) 過去問
令和8年度(2026年度)追・再試験
問58 (歴史総合,日本史探究(第5問) 問3)
問題文
リンさんとカヨさんは、江戸時代の人々が世界のことをどのように知ったのかという点に興味を持った。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
リン:江戸時代の対外関係は「鎖国」と呼ばれるようになるよね。日本人の海外渡航は禁じられたし、貿易も幕府が統制したから、海外の情報は入ってこなかったのではないかな。
カヨ:でも、a 貿易は統制されたけれども、様々な交流や情報伝達はあったと思うよ。
リン:なるほど。そういえば、新井白石は、日本に潜入した宣教師を尋問して得た知識などを基に世界各国の情報を記した『采覧異言』を著しているね。人々は、このような書物を通して海外の情勢や知識を得ることができたのかもね。
カヨ:『采覧異言』を基にして、19世紀初頭に山村昌永という人物が書いた『訂正増訳采覧異言』という書物があるよ。昌永は、『采覧異言』の本文に自分の研究成果を文章で挿入して訂正したようだ。
リン:『訂正増訳采覧異言』で追加された国別の記載分量を比較してみたよ。b 昌永が記載を大きく増やした国と、あまり増やさなかった国があるね。記載分量の違いには、日本と各国との関係の深まりや交流の有無が影響しているんだね。
カヨ:ところで『采覧異言』が書かれたときから『訂正増訳采覧異言』成立までの間には様々なことが起こっているね。例えば、c 徳川吉宗が漢訳洋書の輸入に関する規制を緩和したり、オランダ語を学ばせたりしたことで、蘭学と呼ばれる学問が盛んになったみたいだよ。
下線部cの政治について述べた文として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
リン:江戸時代の対外関係は「鎖国」と呼ばれるようになるよね。日本人の海外渡航は禁じられたし、貿易も幕府が統制したから、海外の情報は入ってこなかったのではないかな。
カヨ:でも、a 貿易は統制されたけれども、様々な交流や情報伝達はあったと思うよ。
リン:なるほど。そういえば、新井白石は、日本に潜入した宣教師を尋問して得た知識などを基に世界各国の情報を記した『采覧異言』を著しているね。人々は、このような書物を通して海外の情勢や知識を得ることができたのかもね。
カヨ:『采覧異言』を基にして、19世紀初頭に山村昌永という人物が書いた『訂正増訳采覧異言』という書物があるよ。昌永は、『采覧異言』の本文に自分の研究成果を文章で挿入して訂正したようだ。
リン:『訂正増訳采覧異言』で追加された国別の記載分量を比較してみたよ。b 昌永が記載を大きく増やした国と、あまり増やさなかった国があるね。記載分量の違いには、日本と各国との関係の深まりや交流の有無が影響しているんだね。
カヨ:ところで『采覧異言』が書かれたときから『訂正増訳采覧異言』成立までの間には様々なことが起こっているね。例えば、c 徳川吉宗が漢訳洋書の輸入に関する規制を緩和したり、オランダ語を学ばせたりしたことで、蘭学と呼ばれる学問が盛んになったみたいだよ。
下線部cの政治について述べた文として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
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共通テスト(地理歴史)試験 令和8年度(2026年度)追・再試験 問58(歴史総合,日本史探究(第5問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
リンさんとカヨさんは、江戸時代の人々が世界のことをどのように知ったのかという点に興味を持った。次の会話を読み、後の問いに答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)
リン:江戸時代の対外関係は「鎖国」と呼ばれるようになるよね。日本人の海外渡航は禁じられたし、貿易も幕府が統制したから、海外の情報は入ってこなかったのではないかな。
カヨ:でも、a 貿易は統制されたけれども、様々な交流や情報伝達はあったと思うよ。
リン:なるほど。そういえば、新井白石は、日本に潜入した宣教師を尋問して得た知識などを基に世界各国の情報を記した『采覧異言』を著しているね。人々は、このような書物を通して海外の情勢や知識を得ることができたのかもね。
カヨ:『采覧異言』を基にして、19世紀初頭に山村昌永という人物が書いた『訂正増訳采覧異言』という書物があるよ。昌永は、『采覧異言』の本文に自分の研究成果を文章で挿入して訂正したようだ。
リン:『訂正増訳采覧異言』で追加された国別の記載分量を比較してみたよ。b 昌永が記載を大きく増やした国と、あまり増やさなかった国があるね。記載分量の違いには、日本と各国との関係の深まりや交流の有無が影響しているんだね。
カヨ:ところで『采覧異言』が書かれたときから『訂正増訳采覧異言』成立までの間には様々なことが起こっているね。例えば、c 徳川吉宗が漢訳洋書の輸入に関する規制を緩和したり、オランダ語を学ばせたりしたことで、蘭学と呼ばれる学問が盛んになったみたいだよ。
下線部cの政治について述べた文として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
リン:江戸時代の対外関係は「鎖国」と呼ばれるようになるよね。日本人の海外渡航は禁じられたし、貿易も幕府が統制したから、海外の情報は入ってこなかったのではないかな。
カヨ:でも、a 貿易は統制されたけれども、様々な交流や情報伝達はあったと思うよ。
リン:なるほど。そういえば、新井白石は、日本に潜入した宣教師を尋問して得た知識などを基に世界各国の情報を記した『采覧異言』を著しているね。人々は、このような書物を通して海外の情勢や知識を得ることができたのかもね。
カヨ:『采覧異言』を基にして、19世紀初頭に山村昌永という人物が書いた『訂正増訳采覧異言』という書物があるよ。昌永は、『采覧異言』の本文に自分の研究成果を文章で挿入して訂正したようだ。
リン:『訂正増訳采覧異言』で追加された国別の記載分量を比較してみたよ。b 昌永が記載を大きく増やした国と、あまり増やさなかった国があるね。記載分量の違いには、日本と各国との関係の深まりや交流の有無が影響しているんだね。
カヨ:ところで『采覧異言』が書かれたときから『訂正増訳采覧異言』成立までの間には様々なことが起こっているね。例えば、c 徳川吉宗が漢訳洋書の輸入に関する規制を緩和したり、オランダ語を学ばせたりしたことで、蘭学と呼ばれる学問が盛んになったみたいだよ。
下線部cの政治について述べた文として適当でないものを、次のうちから一つ選べ。
- 有能な人材を積極的に登用しつつ、在職中のみ禄高を加増することで登用に伴う負担を減らす制度を設けた。
- 金銭貸借に関係する訴訟に関しては、幕府は受け付けず、当事者同士で解決させるようにした。
- 民衆の意見を取り入れるための制度を整え、その意見を基に貧民のための医療施設を設けた。
- 物価の高騰を抑え、米価を安定させるために、流通を独占していた株仲間を解散させた。
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この過去問の解説 (3件)
01
徳川吉宗の政治について述べた文として適当でないものを選ぶ問題です。
正しい
足高の制は徳川吉宗が定めました。この制度によって登用された人物に大岡忠相・田中丘隅などがいます。
正しい
相対済し令は吉宗の政策です。増加した金銭貸借に関する訴訟業務を減らすことが目的でした。
正しい
民衆の意見を取り入れるために吉宗が行った制度は目安箱で、その意見を基に貧民のための医療施設として小石川療養所が設けられました。
誤り
株仲間の解散は天保の改革を行った水野忠邦の政策です。
よって、これが正解です。
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02
徳川吉宗の政治についての問題です。
正しい文章です。1723年に導入された足高の制に関する記述です。
選択肢としては誤りです。
正しい文章です。1719年に導入された相対済令に関する記述です。
選択肢としては誤りです。
正しい文章です。1721年に設置された目安箱、1722年に開設された小石川養生所に関する記述です。
選択肢としては誤りです。
株仲間を解散させたのは水野忠邦で、1841年の出来事です。この文章は誤りです。
選択肢としては正解です。
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03
徳川吉宗が行った享保の改革では、足高の制、相対済し令、目安箱の設置などが行われました。
一方、株仲間の解散は、水野忠邦が天保の改革で行った政策です。
これは徳川吉宗の政治に当てはまります。
吉宗は足高の制を設けました。
幕府の役職には、その役職に応じた一定以上の禄高が必要でした。
そのため、能力があっても禄高が少ない旗本は重要な役職に就きにくいという問題がありました。
そこで、役職に就いている間だけ不足する禄高を補うことで、家柄やもとの禄高だけにとらわれず、有能な人材を登用しやすくしました。
これも吉宗の政治に当てはまります。
吉宗は相対済し令を出し、金銭の貸し借りをめぐる訴訟について、原則として幕府の裁判で扱わず、当事者同士で解決させることにしました。
金銭をめぐる訴訟が増え、幕府の裁判業務が多くなっていたため、その負担を減らすねらいがありました。
これも吉宗の政治に当てはまります。
吉宗は、庶民から意見を集めるために目安箱を設置しました。
目安箱に寄せられた意見をきっかけとして、貧しい人々が医療を受けられる小石川養生所が設けられました。
このように、民衆の意見を政治に取り入れようとする取り組みも行われました。
これは徳川吉宗の政治ではありません。
株仲間を解散させたのは、天保の改革を行った水野忠邦です。
水野忠邦は、株仲間が商品流通を独占していることが物価上昇の原因だと考え、1841年に株仲間の解散を命じました。
一方、徳川吉宗は商業を否定したのではなく、株仲間を公認して営業税などを納めさせる政策も進めています。
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